おむすび権米衛が海外進出したのは、1970年から始まった減反政策が発端だった。これは生産過剰となった米の生産量を調整するための政策で、2018年に廃止されるまで50年近く続いた。ただ、政策期間中でも海外に輸出する米に関しては制限が設けられなかったため、「海外店舗を作れば日本の農業に貢献できるだろう」と海外進出を決めたそうだ。
「まずは大都市から攻めよう」と現地で何度か催事を実施した後、13年に米国進出した。当時は、おむすびを知らない人ばかりで、海苔を剥(は)がして食べる人がいたり、甘い食べ物だとカンチガイする人がいたりしたという。
それでも、日本スタイルのおむすびを提供し続けたところ、日本食ブームや口コミで認知が広がり、18年頃には売り上げが右肩上がりに。17年に進出したフランス・パリでも、順調に人気が拡大した。
最も追い風となったのは、テークアウト需要が急増したコロナ禍だった。元々テークアウト中心の業態であり、商品を持ち帰る需要はあったが、ロックダウンで周囲のレストランが閉店するなどしたため、一気に新規顧客が増えたという。行列がさらなる行列を呼ぶ、あるいは新規顧客が常連になるなどして、現在も人気が続いている。
「米国・フランスともにコロナ禍前と比較して、売り上げが1.5〜2倍に成長しています。ピーク時の昼と夕方は行列ができていて、10〜15分ほどお待ちいただく状態です」
日本の店舗では朝と昼がピークだが、海外店舗では昼と夕方にずれ込む。つまり、ランチ・ディナーにおむすびが食べられているということ。パーティーのために午後9時に100個のおむすびを注文する人もいるそうだ。
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