平日の朝は、連続テレビ小説『らんまん』の放送を楽しみにしつつ、NHKの朝のニュースをボーッと見ている。チコちゃんに叱られそうなくらいボーッと見ているけれども、8月5日の朝のニュースに目が覚めた。東京・日比谷にある「後藤・安田記念東京都市研究所」で、100年前の地下鉄整備検討資料が見つかった。8月23日から9月22日まで、同研究所がある市政会館で展示されている。
【参考リンク】関東大震災100年展示会『関東大震災と東京の復興』開催のご案内(後藤・安田記念東京都市研究所)
また、地下鉄に関する資料は同研究所の公式サイトでPDFファイル(関連リンク1、2)が公開された。
【参考リンク】デジタルアーカイブス、市政専門図書館所蔵「後藤新平関係文書」(後藤・安田記念東京都市研究所)
100年前といえば関東大震災があった1923年(大正12年)だ。その前年まで東京市長だった後藤新平は、大震災直後に内務大臣兼復興院総裁として陣頭指揮に当たっていた。その震災復興計画のなかで地下鉄が検討されていたという。
後藤の復興計画は地下鉄のほかに幹線道路や公園などを含み、費用は膨大だった。地下鉄計画も必要性を説く声があったけれども、その計画は早期に外された。それでも費用は国家予算並みの約13億円。これは政財界から猛反対に遭い、縮小を余儀なくされた。
東京市が予算不足で実現できなかった地下鉄は、4年後の1927年(昭和2年)、東京地下鉄道株式会社が浅草〜上野間で開通した。現在の東京メトロ銀座線だ。ただし、東京地下鉄道の創立者、早川徳次は関東大震災の前から地下鉄の必要性を訴えていた。後藤新平は早川の理解者のひとりだった。
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