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糸井重里74歳、ほぼ日は「僕の最高の作品」 創業した会社をどう残していきたいか?社長が15人の会社も!?(1/2 ページ)

» 2023年10月04日 08時00分 公開

 「おいしい生活」というキャッチコピーや、ロールプレイングゲーム「MOTHER」シリーズ、Webサイト「ほぼ日刊イトイ新聞」や「ほぼ日手帳」など、数々のヒットを生み出してきた糸井重里さん。

 クリエイターとして注目されがちな糸井さんは、経営者としても実績を積み重ねてきた。

 もともとは個人事務所だった「東京糸井重里事務所」を2016年12月に「株式会社ほぼ日」(東京都千代田区)に社名変更。翌17年3月にはジャスダック(現・スタンダード)に上場し、創業者として功績を残している。同社は今では従業員数123人 、22年度の売上高は約59億円にのぼる。

ほぼ日取締役の小泉絢子さん(左)と、社長の糸井重里さん(以下、糸井社長と小泉取締役の撮影は斉藤順子)

 キャッチコピーからゲーム、メディアから手帳まで多様な作品を生み出してきたが、中でも糸井さんが「最高の作品」と評するのが会社としてのほぼ日だ。

 なぜ、会社を「最高の作品」というのか。「経営者・糸井重里」とは一体どんな人物なのか。ほぼ日代表取締役社長の糸井重里さんと、取締役の小泉絢子さんにインタビューした。

糸井重里(いとい・しげさと)株式会社ほぼ日 代表取締役社長。1948年生まれ、群馬県出身。コピーライターとして一世を風靡し、作詞や文筆、ゲーム制作などでも活躍。98年に毎日更新のWebサイト「ほぼ日刊イトイ新聞」創刊。『ほぼ日手帳』をはじめ、AR地球儀『ほぼ日のアースボール』、「人に会おう、話を聞こう。」をテーマにアプリ・Webでお届けする『ほぼ日の學校』など多様なコンテンツの企画開発を手掛ける
小泉絢子(こいずみ・あやこ)株式会社ほぼ日 取締役。学生時代からアルバイトでほぼ日に勤務した後、2001年4月に入社。01年に発売したほぼ日のロングセラー商品「ほぼ日手帳」を、立ち上げから担当する。08年11月に事業支援部長に就任した後、12年12月に商品事業部長に就任。13年6月に取締役に就任

今までの経営で最大のピンチは?

――ほぼ日で、手帳の事業を始めてから今年で22年。前身の東京糸井重里事務所から数えると今年で創業44年になります。今までで経営的に一番ピンチだった時期はいつだったのでしょうか。

糸井: 始めてすぐの時でしたね。僕は帳簿一つ見られない人間でしたから。そして創業した1979年時点では、僕はまだ31歳で若かった。そのときは今みたいに「遊ぼう」という感覚ではなくて、何事にも一生懸命だったんですね。ハードワークが成功に結びつくと思い込んでいました。

 あのときはクリエイターの天才集団に憧れがありました。みんなが同じ場所に住んで、休み時間でも何でも熱心に語り合っているような。寮とか作りたかったです。「俺はやるからお前らもやれ」みたいな感じで人を集めたかったのですが、そのときに人が集まらなくてよかったと思っています。もしそれで軌道に乗っていたら危ない会社になっていましたよね。

――それが今では、人を大切にする会社になりました。小泉取締役は学生の時からいらっしゃったそうですね。

小泉: 私が入社したきっかけは「ほぼ日」Tシャツの発送業務で人手が必要になったことでした。入ったその日から発送業務に追われていましたね。その後「ほぼ日手帳」を担当するようにもなり、そのまま大学卒業後もずっといる形です。私からすると拾ってもらったようで、本当に恩を感じています。

――小泉取締役はほぼ日では、どのように力を発揮してきたのでしょうか。

小泉: 糸井の特長として、トップダウンのようでいて、トップダウンにしないところがあります。まだ私が学生の時にも「そこは僕よりも君の方が考えているから君が決めていいよ」と言ってくれたことがあります。

 私が相談に行っても「君の方が僕よりもそのことについては考えているから任せる」といってくれたように、考えさせてその結果をちゃんと尊重するところがあるんですよね。コンセプトは糸井が決めるところが少なくないのですが、細かい部分は私が決めてきたこともたくさんあります。

――部下に考えさせて行動させるのは、なかなか勇気のいることだと思います。

小泉: オーナーさんによっては、ワンマンで何が何でも僕の言うことを聞いてほしいという方もいらっしゃると思います。でも糸井はそういうところが全くなかったんですね。そうなると私としてはやりがいにつながりますし、仕事が楽しくなります。

 一方で私に放任するのではなく、駄目なりにも自分の考えを糸井のところに持っていくと「それじゃあ君の考えを、僕はもっとよくしよう」と面倒も見てくれます。間違っても「君はもう考えなくていいから、僕の言う通りにしてくれればいい」みたいなことは一度もありませんでした。どうやったら人がその仕事を面白がれるか、モチベーションが上がるか。そういう部分でも糸井は天才的だと思います。

――糸井社長をクリエイターとして天才と呼ぶ人は多くいますが、部下のやる気を引き出す天才でもあったのですね。

小泉: 弊社で求人を出すと、120人ちょっとの会社に応募してくださる方が今でも1000人近くいます。会社の規模に対して、これだけの人がそこに入りたいと思ってくださるのです。会社の規模よりも、日々の仕事のやりがいや楽しさがいかに大事かを考えさせられます。

 弊社では仕事をする上で「おもつらい(面白い+つらい)」というのを大事にしています。仕事をする上での楽しさと厳しさのバランスがうまくとれているんですよね。特にアイデア出しや提案の部分は、私たちが全然足りていないところで、もっと磨かなきゃいけないところなんです。そこの厳しさと、個人を尊重することのバランスが取れているのだと思いますね。

――糸井社長はこれまでキャッチコピーからゲーム、グッズから手帳までさまざまなものを作ってきました。そんな糸井社長は自分が創業した「ほぼ日」という会社をどう見ていますか。

糸井: 会社は一番の作品ですよね。まだ見えるサイズの作品ですけど、見えないサイズになるところまで見てみたいなという思いがあります。

――見えないサイズとはどういうことなのでしょうか。

糸井: 例えば最初にゴジラの映画を作った人は、ゴジラの中に人間が入って動かして、見えるサイズで作っていたと思うんですよ。でも中から人がいなくなって飛んでいってしまったり、今ではCGだったりしますよね。その点、僕はまだ職人さんがやっていることの延長線上のことをしているので、ほぼ日という会社はまだ見えるサイズの作品なんだと思います。

 でも、せっかく僕じゃない人がこんなにいっぱいアスリートとして育ってきているんだから、その人たちが見せてくれるものを、今度は僕が観客席で見たいなと思いますね。そしてそれはもう始まりかけています。

ミナ ペルホネンとコラボした「ほぼ日手帳」
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