所沢駅前に巨大商業施設が出現、そこは昔「電車の工場」だった杉山淳一の「週刊鉄道経済」(3/6 ページ)

» 2024年04月28日 06時00分 公開
[杉山淳一ITmedia]

珍しい「鉄道会社直営製造工場に」

 1954年になって、ついに新規設計による完全新製車両として「501系電車」を完成させた。前面2枚窓、片側3扉、窓の上下の補強を内部に仕込んだスマートな姿が特徴だ。ここから1999年までの45年間にわたり、西武鉄道の新型電車を生産した。1961年に復興社は西武建設に社名変更し、1973年に車両工場部門が西武鉄道に移管され、西武鉄道直属の車両製造工場になった。国鉄も含め、鉄道会社は車両を製造会社から購入する方式が主流だけれども、西武鉄道は珍しく、自社で車両を製造する会社だった。

 特に1959年に製造し、451系電車で実用化した「ST式扉開閉機構」は特許を取得し、多くの鉄道会社で採用された。空気シリンダーとゴムベルトを使って、両開きのドアを1つの機械で開閉できる仕組みだ。これは電動式が開発されるまで長い間主流となっていた。

 西武鉄道の路線が延び、輸送力を増強するため多数の新造車が必要になると、所沢工場だけでは足りず、他社の製造車両も増えてくる。初めて一部の編成を他社に発注した電車は初代レッドアローの5000系だった。現在、アニメシアターXなどで放送中のアニメ『終末トレインどこへいく?』に登場する新2000系電車も、所沢車両工場と東急車輌(現・総合車両製作所横浜事業所)でつくられた。アニメに登場する2両編成は東急車輌版だ。

 所沢車両工場が最後に新造した電車は9000系電車だった。1993〜99年にかけて、この形式はすべて所沢車両工場で製造されている。大ざっぱにいうと、所沢車両工場は「黄色い電車」まで手がけていて、車体に黄色がない車両はすべて外部発注している。これは車体の素材の違いでもある。鋼鉄製車体までは所沢車両工場で製造したけれども、車体にステンレス鋼やアルミ合金を採用するに当たり外注に切り替わった。

 所沢車両工場は1200両以上の車両を製造した。そして車両の製造が終わったあとも、所沢車両工場には車両の検査業務が残っていた。しかし、設備の老朽化、列車の長編成化に対応するため移転、閉鎖が決定した。2000年に移転先として武蔵丘車両検修場が開設された。

1984〜86年ごろの所沢駅周辺。中央の建物群が所沢車両工場だ。建物の間にトラバーサー(平行移動装置)が見える。所沢駅の南側から引き込み線が通じている(出典:地理院地図航空写真)
2019年の同じ場所の航空写真。工場の建物は撤去され、一部は駐車場になった(出典:地理院地図航空写真)

Copyright © ITmedia, Inc. All Rights Reserved.