所沢駅前に巨大商業施設が出現、そこは昔「電車の工場」だった杉山淳一の「週刊鉄道経済」(5/6 ページ)

» 2024年04月28日 06時00分 公開
[杉山淳一ITmedia]

まちづくりに魅力的な「鉄道用地開発」

 鉄道用地が移転して新たな街ができる。その事例は過去にもあった。例えば汐留地区には築地市場に隣接する汐留貨物駅があった。コンテナ貨物が主流になると、貨物列車は大井埠頭の東京貨物ターミナル発着などに移った。国鉄の分割民営化に伴い、汐留貨物駅跡地は国鉄の赤字清算のために売却され、現在は超高層ビルが建ち並ぶ汐留シオサイトとなった。

 JR秋葉原駅は明治時代に貨物駅として開業した。神田川の水運と接続するためにつくられた駅だった。しかしトラック輸送には不利だったため機能を縮小し、のちに隅田川駅に機能を移転した。現在は神田青果市場の跡地とともに秋葉原クロスフィールドとして再開発された。

 JR飯田橋駅付近の飯田町には飯田町紙流通センターがあった。こちらも隅田川駅に機能が集約されて廃止され、現在は高層ビルなどの「アイガーデン」となっている。貨物駅移転はこのほかにも、品川貨物駅(インターシティ)、新宿貨物駅(タイムズスクエア)などがある。

 貨物列車は郊外移転してトラック輸送に切り替わるとして、悩ましい存在は電車の留置線だ。始発列車を運行するために都心や都心近郊に配置しておきたい。しかしそこは一等地でもある。電車を停めておくにはもったいない。不動産業界でいう「利回りの良い土地」だ。建物を建てるなど付加価値をつけた投資を行って資金を回収し、利益を得たほうがいい。

 その最も良い例が高輪ゲートウェイシティだ。旧田町電車区の広大な土地に東海道本線用の電車を停めておくだけではもったいない。そこでまず上野東京ラインを開通させて、尾久、大宮、小山、籠原に車両基地を移し、さらに山手線、京浜東北線の線路も移設して広大な再開発用地を得た。これだけの投資をしても「利回り」を期待できる土地だった。

 私鉄にも例がある。小田急電鉄の経堂工場と相武台工場は1962年に大野工場に移転し、跡地は2度の再開発を経て「経堂コルティ」になった。京成電鉄は津田沼駅に隣接して京成電鉄津田沼第一整備工場があった。現在は留置線を残して再開発された。

 東急電鉄は奥沢工場、雪が谷工場の機能を元住吉工場に移転したけれども、1972年に長津田工場が落成し、さらに工場機能が移転された。東急電鉄の場合は再開発にならず、そのまま車両留置線の拡張(検車区)に使われている。鷺沼検車区の一部も長津田に移転され、跡地は東京メトロの鷺沼検車区と工場になった。再開発の例としては自由が丘検車区が縮小し、商業施設「トレインチ自由が丘」になっている。

都心部の大型開発となった高輪ゲートウェイシティ。車両基地の分散化で開発用地を捻出した(出典:地理院地図航空写真)

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