AIエージェントの台頭は、SaaS業界全体に構造的な変化をもたらしつつある。従来のSaaSは「データベースのラッパー」とも表現される。つまり、データを格納するデータベース層、そのデータを処理するビジネスロジック層、そして人間がそれを操作するためのUI(ユーザーインタフェース)層という三層構造を持つ。SaaS企業は長年、UI/UXの洗練に多大なリソースを投じてきたが、AIエージェントの登場により、この構造の価値バランスが崩れつつあるのだ。
第1に、UI/UXの価値低下が起きている。AIにとってSaaSに必要なのはデータと文脈の提供のみであり、それはAPIがあれば十分となる。このため、人間が見やすく操作しやすいUIを作り込む価値が大幅に減少する。
第2に、ビジネスロジック層も長期的には変化する可能性がある。現状ではSaaSにハードコーディングされたロジックが強みだが、LLMの進化によって、こうした業務ロジックの一部もAIが代替できるようになるかもしれない。マネーフォワードの廣原執行役員は「ロジックがややこしいものについては、上にAIエージェントを乗せていくのがまず一歩」と語っている。つまり複雑な業務ロジックはSaaS側に残るが、より単純な処理はAIが担うようになると考えられる。
こうした変化の中で、SaaSの最後の砦はデータとなる。しかし、AIの画面操作機能や画像認識精度が向上すれば、APIがなくてもデータを「引き抜く」ことが将来的には可能になるだろう。AI側の処理コストが低下すれば、APIがなくてもデータ移行が実行できるようになるかもしれない。
この変化を見据え、多くのSaaS企業がデータ戦略の再構築に動いている。マネーフォワードもその1つで、「統合データマート」構想を打ち出した。自社サービスのデータだけでなく、他社業務系SaaSや基幹システム、CSVファイルなど多様なソースからデータを一元化し、そこにAIエージェントがアクセスする形を目指す。
マネーフォワードが提唱する「統合データマート」構想。同社のクラウドサービスだけでなく、他社業務系SaaS、基幹システム、CSVやファイルなど多様なソースから収集したデータを一元管理。APIやiPaaS、IF開発などで連携し、モデリングされたデータを高速検索・集計できる環境を構築。これにより専門性の高いAIエージェントの実現を目指す1つのデータベースに全てのデータを記録するfreeeのような統合型サービスに対し、マネーフォワードは各プロダクトにデータを分散して保存するというコンポーネント型の仕組みを採っている。しかしこれはAI時代にはマッチしない。これを解決するため、個々のプロダクトのデータベースではなく、自社・他社含め全データがまとまった1つのデータベースを構築するのが統合データマート計画だ。ただし、他社にとってもデータは最重要の収益源であり、戦略的資産だ。マネーフォワード自身も無料プランではデータの書き出しに制限を設けるなど、データを囲い込む戦略を採用している。
こうした状況を打開する方法として、コンピュータを自動操作させるAI技術(Computer Useなど)を活用し、ブラウザを通じてデータを取得する方法も検討されている。グループCDAO(チーフ・データ・アンド・アナリティクス・オフィサー)である野村一仁執行役員は「公開されているデータは取ってくる」と説明する。しかし当然、各ベンダーもAIからのアクセスを検知して拒否する対策を講じるだろう。これはデータを巡る新たな攻防の始まりを意味している。
AIエージェントの実用化にはその他にも課題がある。辻CEOは「バックオフィスは正解のある世界。シングルタスクのAIエージェントはうまくいく」と指摘し、複数の専門AIエージェントの上に「マネジャー的なAIエージェント」を置く階層構造を構想している。これは各業務領域に特化したAIエージェントがそれぞれの専門業務を処理し、それらを統括する上位エージェントが全体を調整するという考え方だ。
マネーフォワードは、自社のAIエージェントを中核として、パートナー企業が開発したエージェントとの連携を可能にする「AIエージェントプラットフォーム」を構築する考えだ。ユーザーは経費精算や受取請求書処理などの専門エージェントを必要に応じてインストールして利用できる。スマートフォンとアプリの関係性に似た、オープンなエコシステム形成を目指しているまた、業界全体での「AIエージェントの標準化」も重要な課題となる。AIエージェント間でスムーズに連携するには、共通のインタフェースやプロトコルが必要だ。マネーフォワードが提唱する「AIエージェントプラットフォーム」は、この標準化を先取りする試みといえる。自社エージェントと他社エージェントが同じプラットフォーム上で協調できる環境を整えることで、ユーザーはベンダーを問わず最適なエージェントを組み合わせて利用できるようになる。しかし、各社がそれぞれの利益を追求する中で、こうしたオープンなエコシステムを実現できるかは不透明だ。
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