一方で、転勤には当然ながらデメリットもあります。特に、社員からみたデメリットは深刻です。まず、生活環境が激変するだけに、行った先でゼロから新たな環境を整えなければなりません。家庭を持っている人は家族にも大きな負担がかかります。
仕事と生活の環境変化が重なるだけに、相応のストレスもかかるはずです。転勤前に構築してきた社内外の人たちとの日常的な交流も、物理的な距離によって絶たれてしまうことになります。
加えて、いまは共働き家庭が専業主婦家庭の3倍に迫ろうかというほど圧倒的多数派です。夫婦のどちらかが転勤となれば、配偶者が退職を迫られ、ワンオペ育児になるなど、多大な影響が及ぶことになります。多くの場合、振り回されるのは女性です。
社員側にとってのデメリットが深刻であればあるほど、当然、会社側にとってのデメリットも大きくなります。まず、冒頭に触れたように、転勤を嫌って社員が退職する可能性が高まります。
退職しなかったとしても、社員が強いストレスにさらされていれば、仕事で十分なパフォーマンスを発揮できず、心身の健康バランスが崩れるかもしれません。
これらは、会社側が転勤によって享受できると期待したメリットを帳消しにしてしまいかねないデメリットです。
時代の移り変わりとともに転勤拒否がしやすくなってきているように感じる背景には、価値観の多様化、慢性的な採用難や人口減少などの影響から、一方的だった会社と社員との力関係が、徐々に双方向的になりつつあるというバランスの変化があります。これまでは社員が会社に合わせるばかりだったのが、会社が社員に合わせるようになってきたと言い換えてもよいのかもしれません。
力関係の差を踏まえると、嫌だったはずの転勤を甘んじて受け入れてきた社員にとって転勤命令は、パワハラの一種だったと言えるかもしれません。そんな状況が解消されてきているのだとしたら、会社組織が進化したことの表れとも言えます。
また、出社回帰が進んでいるとはいえ、テレワークはコロナ禍前と比べてずっと選択しやすい働き方になりました。中にはコロナ禍前から、ほぼ全社員がテレワークしている会社もありますし、NTTグループのようにテレワークを基本にして転勤をやめる方針を示している会社もあります。
いまの流れのまま進んでいけば、やがて転勤については社員の同意がなければできないものという認識が一般的になっていくのかもしれません。そうなれば社員にとっては、転勤命令から解放されて自由を勝ち取ったことを意味すると言えるでしょう。
しかしながら、代償として失う可能性がある権利にも注意が必要です。
会社が転勤命令を下せないとしたら、業績が振るわず、社員の能力不足が露呈した場合などに、配置換えして雇用を守る手段が狭まります。原則的には、義務と権利は等しい関係です。社員としては転勤を拒否できるようになる反面、解雇されやすくなる可能性があることについても認識しておく必要があるでしょう。
一方、会社側は辞令一つで社員をどこにでも動かせる時代が終わりを迎えつつあると認識しておく必要があります。例えばAIG損害保険やニトリでは、社員が勤務エリアを選べる制度を導入するなど、望まない転勤をなくす取り組みを行っています。採用難が慢性化する中、社員に配慮した施策をとらない会社は、人材確保競争においてどんどん不利な状況へと追い込まれていくことになるのではないでしょうか。
ワークスタイル研究家。1973年三重県津市生まれ。愛知大学文学部卒業後、大手人材サービス企業の事業責任者、業界専門誌『月刊人材ビジネス』営業推進部部長 兼 編集委員の他、経営企画・人事・広報部門等の役員・管理職を歴任。所長として立ち上げた調査機関『しゅふJOB総研』では、仕事と家庭の両立を希望する主婦・主夫層を中心にのべ5万人以上の声を調査。レポートは300本を超える。雇用労働分野に20年以上携わり、厚生労働省委託事業検討会委員等も務める。NHK「あさイチ」「クローズアップ現代」他メディア出演多数。
現在は、『人材サービスの公益的発展を考える会』主宰、『ヒトラボ』編集長、しゅふJOB総研 研究顧問、すばる審査評価機構 非常勤監査役の他、執筆、講演、広報ブランディングアドバイザリー等に従事。日本労務学会員。男女の双子を含む4児の父で兼業主夫。
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