リソースが限られる中小企業にとって、過去の投資や慣習に縛られた「やめられない」状態は致命傷になる。本特集では「何を捨て、何を守ったか」の実例を取材。地方企業のリアルな決断事例から、成果を最大化させるための「攻めの撤退」をひも解く。
「せんべいは儲(もう)からないから、もういいんじゃないか」。
2001年、家業に戻った田中祐介氏は、先代である父からそう告げられたこともあったと振り返る。安政6年(1859年)創業、岐阜県大垣市に暖簾(のれん)を掲げる「田中屋せんべい総本家」は、当時、時代の波に飲まれ、多角化した事業の運営負担に喘いでいた。
現在、同社の売上高は2001年当時の約半分にまで減少している。しかし、経営の健全性は当時とは比較にならないほど高い。従業員の8割を正社員として雇用し、残業はほぼゼロ。9年間離職者も出ていない。看板商品「みそ入大垣せんべい」に加え、現代的にアレンジした「まつほ」などのヒット商品も生まれた。
地方の老舗がいかにして、「売り上げを捨てる」決断を下したのか。
田中屋せんべい総本家は幕末に開業した、160余年の歴史を持つ老舗だ。初代の田中増吉は大阪でせんべいづくりの修行をし、みそ入大垣せんべいを考案。戸田家十万石の城下町、岐阜県大垣市に店を開いた。伝統的な技法で作られたせんべいは、堅く、つやがあるのが特徴だ。
今でも職人が一つ一つ丁寧に焼き上げている主力商品「みそ入大垣せんべい厚焼」は、袋入りは4枚756円、化粧箱入りは5枚1188円から(公式Webサイトより)。直営店やスーパー、大手百貨店の銘菓コーナーで販売している。
田中氏が入社した当時、同社はせんべい以外に洋菓子、レストランなど5店舗を展開していた。多角化した事業はバブル景気の波に乗っていた頃は繁盛していたものの、時代とともに競合店が台頭し、経営は徐々に立ち行かなくなっていた。
「現場には、『何をやっても無駄』だという強烈な閉塞感が漂っていました」と、田中氏は当時を振り返る。祖業のせんべいはというと、かつていた職人たちは独立し、そこから商品を買い取る体制だった。「これでは自社に技術が残らず、品質のコントロールもままならない状況でした」(田中氏)
経営リソースが分散し、本業の足腰が弱り切っている。このままでは「つなぐ」べき暖簾が途絶える――。危機感を抱いた田中氏が最初に着手したのは、事業の拡大ではなく、徹底した「整理」と「内製化」への回帰だった。
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