高輪ゲートウェイシティを語る前に、この場所が歩んできた歴史を振り返っておきたい。
鉄道を建設すること自体が革新的だった明治時代。新橋〜横浜間で鉄道を開業するにあたり、高輪海岸周辺では土地の取得が難航した。その解決策として生まれたのが、「海の上に線路を敷く」という発想だった。
築堤(ちくてい)の建設では、江戸時代から受け継がれてきた城の石垣技術が応用され、その上に英国製のレールが敷かれた。日本の伝統技術と海外の先端技術を組み合わせ、新しい交通インフラを生み出したのである。
鉄道の発展とともに、都市も姿を変えていった。高輪築堤周辺は埋め立てが進み、車両基地が整備された。海側にも陸地が広がり、エリア全体が都市の成長とともに拡張していった。
この車両基地は、寝台特急車両が昼間に待機する場所として知られ、東京駅で折り返す普通列車も数多く置かれていた。つまり、首都圏の鉄道輸送を支える重要拠点だったのである。
しかし、上野東京ラインなどの整備により、都心部に車両を置く必要性も薄れて、広大な車両基地として使い続けることへの見直し論も強まっていった。
こうした流れの中で、高輪地区の土地活用に注目が集まった。山手線沿線で再開発が進む中、品川エリアでも街づくりが本格化し、高輪から品川までを一体で再編する構想が動き出した。その象徴として誕生したのが、高輪ゲートウェイシティなのである。
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