中国において、米実業家のイーロン・マスク(Elon Musk)氏は愛される存在であると同時に、時には嫌悪の対象でもあった。
電気自動車(EV)大手である米Teslaのトップであるマスク氏は、先見の明のある人物として称賛される一方で、顧客の苦情対応における不手際を指摘され、中国の規制当局や一般市民から批判も浴びてきた。
さらに、同氏が経営する宇宙開発企業の米SpaceXと、その衛星部門であるスターリンクの圧倒的な存在感は、中国人民解放軍の怒りを買っている。Teslaと競合する中国のEVメーカーとの差が縮まるにつれ、マスク氏は威信と影響力を失うリスクにさらされている。
マスク氏は今回、トランプ米大統領に同行し、習近平国家主席との首脳会談のため北京を訪れた10人以上のCEOや幹部グループに名を連ねている。同行者には米Appleのティム・クック(Tim Cook)最高経営責任者 (CEO)や、半導体大手米NVIDIAのジェンスン・フアン(Jensen Huang)CEOらがいる。この代表団は主に北京側との諸問題の解決を目指す経営者で構成されており、世界一の富豪であるマスク氏も、中国とのビジネスにおける波乱に満ちた展開には慣れっこだ。
5月14日、トランプ大統領の閣僚やほかの13人のCEOらと歓迎式典に出席した後、マスク氏は人民大会堂を出る際に記者団の質問に答え、中国で「多くの良いことを成し遂げたい」と語った。
その夜、晩さん会の前に、中国スマートフォン大手である中国Xiaomiの雷軍(Lei Jun)CEOがマスク氏と自撮りをする姿が目撃された。
マスク氏はうんざりした様子で、眉をひそめ、ため息をつくような仕草を見せてから撮影に応じた。この様子を捉えた映像は中国のSNSで拡散され「雷氏が憧れのヒーローを前に、完全に気おされた」といった冗談が飛び交った。
技術面や価格面で現地のEVメーカーから猛追を受けているとはいえ、Teslaとマスク氏の中国における影響力は依然として健在だ。米The Brookings Institution(ブルッキングス研究所)の中国技術研究員カイル・チャン氏はその理由について「北京の技術分野における優先事項を見ると、その多くがマスク氏の優先事項とほぼ完全に一致している」と指摘。EV、自動運転車、AI、人型ロボット、さらには「脳コンピューター・インターフェース」(BCI)や衛星を例に挙げた。
チャン氏によれば、Teslaの自動運転技術は依然として中国における業界標準とみなされている。EVメーカーの中国Chery(奇瑞汽車)の尹同躍会長は4月、ロイターの取材に応じ、Teslaとトヨタ自動車からインスピレーションを得ていると述べた。現在欧州に進出しているCheryは、Teslaの革新性への注力と、トヨタ自動車の品質へのこだわりの融合を目指しているという。
2018年、Teslaは現地パートナーなしで中国に自動車製造拠点を設立することを許可された、初の外資系自動車メーカーとなった。
業界団体である中国乗用車協会によると、Teslaは2025年、中国で約62万6000台を販売し、EVおよびプラグインハイブリッド車の販売台数において中国第5位の自動車メーカーとなった。同社のデータによると、2025年におけるTeslaの収益のうち、約5分の1を中国が占めている。
自動車アナリストのフェリペ・ムニョス氏は、バッテリー性能とソフトウェアを軸に車を設計するというTeslaの姿勢は「多くの中国自動車メーカーにとって最大のインスピレーションの一つであることは間違いない」と述べた。
だが中国の人民解放軍や外交官らは、マスク氏のビジネス帝国のほかの部分に対しては激しく反発している。より安価で信頼性の高い通信を提供する低軌道衛星において、SpaceXがほぼ独占的な地位にあること、それがウクライナ紛争において重要な役割を果たしていることは、中国政府の警戒を招いており、国内独自の代替手段の開発を促す結果となっている。
2022年9月、人民解放軍が運営する工科大学の研究者らが共著した論文にはこうある。
「ウクライナ紛争で発揮されたスターリンク衛星の優れた性能は、将来アジアで武力衝突が発生した際、米国や西側諸国がスターリンクを広範囲で使用することを確実に促すだろう」
マスク氏のSNSプラットフォーム「X」は中国で利用が禁止されているが、同氏は中国の「微博 」(ウェイボ)で230万人のフォロワーを抱えている。過去の訪中時には「先駆者」「馬兄 」(マー兄さん)、「世界的アイドル」として地元メディアでもてはやされた。マスク氏の母親でさえ、一種のセレブだ。
今回の訪問は、英Reutersが3月に報じた、中国のサプライヤーから29億ドル相当の太陽光パネル製造装置を購入しようとしている動きと重なっている。ただ、中国が最先端技術の対米輸出制限を検討していることから、この取り組みは難航する可能性がある。
Teslaは高度運転支援システム「フルセルフドライビング」 (FSD)の導入拡大に向け、規制当局の承認も求めている。
マスク氏は中国での立ち回りに神経を使ってきた。世界最大の自動車市場であり、巨大なサプライチェーンを持つ中国は、EV、太陽光発電、宇宙プログラムにまたがる彼の広大なビジネス帝国を支える上で不可欠な存在だからだ。
2021年、Teslaは顧客の苦情に迅速に対応できなかったとして、中国の消費者に謝罪を余儀なくされた。これは、ブレーキの故障に関する苦情への対応に不満を持った顧客が、上海モーターショーでTesla車の上に登って抗議したことが発端だ。この様子は中国のSNSで拡散され、国営メディアからも批判を浴びた。
同年には車体に搭載されたカメラに関するセキュリティー上の懸念から、Tesla車は軍事施設への立ち入りを禁止された。この措置は、2024年にマスク氏が中国を訪問し、自動車工業会がTeslaのデータコンプライアンスを認めたことでようやく解除された。
長期的にみて、マスク氏の中国での地位を脅かすのは、急ピッチで力をつけている中国メーカーの存在かもしれない。
微博で人気のEV専門ブログ「Supercharged」の創設者である常岩氏は「中国企業がイーロン・マスク氏のハイテク帝国に追いつき、追い越すにつれ、中国における彼の存在感は薄れ始めるかもしれない」と述べた。
ただ、常氏はこうも記した。「それでも、マスク氏の功績は大きく、中国のハイテク業界における象徴的存在としての地位は今後も揺るがないだろう」
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