この記事は、書籍『大阪ビジネス』(大野雄斗/クロスメディア・パブリッシング)に、編集を加えて転載したものです。なお、文中の内容・肩書などは全て出版当時のものです。
世界中で年間1000億食以上が消費されているインスタントラーメン。この「世紀最大の発明」と言われる食品が、大阪府池田市の小さな家の、さらに小さな「裏庭の小屋」で生まれたことをご存じでしょうか。
日清食品の創業者、安藤百福氏。安藤氏がインスタントラーメンを生み出したのは48歳のことでした。
安藤氏は、呉服店を営む祖父母のもとで、商売の現場を間近に見ながら育ちました。独立心の強かった安藤氏は「誰もやっていない新しいことをやりたい」と、繊維事業を22歳で始めます。メリヤス(編み物)を販売する会社を設立すると、大成功。
戦後の1948年(昭和23年)には食糧難の中で「衣食住というが、食がなければ衣も住もあったものではない」という思いを抱くようになり、食品事業を手掛けることを決意。日清食品の前身「中交総社」を立ち上げました。
しかし、GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)に脱税の容疑で収監。その後、理事長を務めていた信用組合が破綻し、背任罪で有罪判決を受け、正真正銘のどん底、無一文になってしまいました。
そんなときにふと思い出したのが、戦後の焼け野原、寒空の下、屋台に並んでラーメンをすする人々の長い行列。麺好きの日本人のために、「もっと手軽に、家でお湯さえあればすぐ食べられるラーメンをつくろう」と決意したのです。唯一残っていた池田市の小さな家の小屋で、朝から晩までラーメンの開発に取り組むようになりました。
(1)おいしくて飽きがこない。
(2)保存性がある。
(3)調理に手間がかからない。
(4)安価である。
(5)安全で衛生的。
この条件を満たすようなラーメンをつくるため、麺を揚げ続ける日々。一年が経つ頃、妻の天ぷら料理をヒントに「瞬間油熱乾燥法」を編み出し、1958年(昭和33年)、ついに世界初のインスタントラーメン「チキンラーメン」を完成させます。
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