ペイミーCOOから原宿の銭湯へ 1日500人が訪れる「小杉湯原宿」はどう実現したのかキャリアを180度変え、斜陽産業に挑む挑戦者たち(4/5 ページ)

» 2026年07月27日 07時30分 公開
[熊谷紗希ITmedia]

着工直前に「サウナ設置計画」を白紙に戻す

 現在の小杉湯原宿は、高円寺の小杉湯と同じく、「ミルク風呂」(ワセリン、ミツロウ、ミネラルオイルを配合した入浴剤を混ぜた白色の風呂)、温度が高めの「あつ湯」と「水風呂」の3つで構成されている。昔ながらのシンプルな銭湯だ。

小杉湯原宿の3つの湯船

 しかし実は、着工の直前までサウナを設置する計画があり、図面も完成していた。当時はサウナブームの真っただ中で、新しい銭湯にサウナを設けるのはごく自然な流れであり、デベロッパー側も前向きだったという。

 ところが、サウナ導入に伴う混雑や運営上の課題が議論される中で、チーム内から「そもそも、なぜサウナが必要なのか」という疑問の声も上がるようになった。

 「サウナをなくすという決断の責任を誰が取るのか」という空気が漂う中、関根氏は「私が責任を取るから、サウナはやめませんか」と提案し、施工直前に計画を白紙に戻した。サウナを予定していたスペースをトイレに変更したことで、結果的に脱衣所のスペースを広めに確保することにもつながった。

 「デベロッパーのみなさんにサウナをやめると伝えたときも、意外と『いいね』と言ってもらえることが多かったんです。小杉湯なら、サウナに頼らなくても湯船だけで勝負できると感じてもらえたのではないかと思います」

 足し算ではなく、あえて「引き算」を選ぶ。その発想は、お風呂の細部にも貫かれている。例えば、ミルク風呂の深さは床から60センチ(女性側は57センチ)に設定されている。これは、お湯が口に入りにくく、入浴剤の香りを感じやすい絶妙な高さだ。

 「ゼロから全部を設計するわけではなく、小杉湯が大切にしてきたことを大切にしています」と関根氏は話す。サウナについても、小杉湯が長年提供してきた「交互浴」(熱い湯と水風呂と行き来する入浴法)で正面から挑むことを選んだ。

壁には高円寺の小杉湯と同じ富士山が描かれている

 こうした「引き算」の発想は、お風呂の設計だけにとどまらない。関根氏は、小杉湯原宿全体を「銭湯という文化を未来へ残すための場所」と位置付けている。

 風呂の外にある、小杉湯原宿が運営するスペース「チカイチ」にもその思想が反映されている。この空間は、誰でも座れる椅子やベンチに加え、寝転がって読書やPC作業などができる畳とカーペットが設けられているオープンスペースだ。

チカイチでは靴を脱いでリラックスできる空間を提供している

 買い物や食事など明確な目的を持って訪れる人が多い原宿で「何もしなくていい場所」は珍しい。銭湯利用者以外も自由に使えるため、多くの人が立ち寄る場所になりつつある。

 そして、小杉湯原宿は、このチカイチを企業との協業の場としても活用している。チカイチを活用することで、銭湯という日常を続けていくための収益を生み出す仕組みを築いている。

 これまで、花王の「石けん」やサッポロビールなどとのコラボ実績を持つ。任天堂とは、同社の祖業である「花札」と銭湯がコラボした商品も開発。2026年7月には、チカイチ内に富士フイルムの直営写真店がオープンした。写真の現像サービスなどを提供する。いずれも短期的な販促ではなく、「文化を残す」という観点から、協業期間は1〜2年以上と長期的な取り組みを前提としている。

任天堂の祖業である「花札」と銭湯がコラボした商品(画像:小杉湯プレスリリースより)

 関根氏は「現代において、フィルムや石けんは合理性だけで言えば、なくても困らないものかもしれません。でもあった方が幸せなものがある。それが文化だと思うんです」と話す。

 ただし、反響が大きい企画であっても続けるとは限らない。関根氏にとって、ビジネスはあくまで「銭湯を残すための手段」だからだ。銭湯という日常を壊してまで利益を追求することはしない。

 例えば、小杉湯原宿の開業初年度には、チカイチでスポーツブランドと連携したランニングステーションを展開した。代々木公園が近いこともあり、大きな反響を呼んだが、利用者が急増して混雑が発生したため、「銭湯に入りに来たお客さんの日常を壊してしまう」と判断し、継続しないことを決めた。

サッポロビールとコラボしたスタンド

 こうした姿勢は、料金設定にも表れている。小杉湯原宿は「その他公衆浴場」に分類されるため、本来は自由に価格を設定できる。にもかかわらず、あえて一般的な公衆浴場と同じ550円(2026年7月時点)を維持している。

 「エクセルを叩いて『1100円にしたらどうか』という提案をいただくこともあります。もちろん、合理的にビジネスを考えることはしますが、合理的な思考だけでいい場所がつくれるとは思っていません」と関根氏は話す。

 月に1回高いお金を払って訪れる場所ではなく、週に何度も通える「日常」でありたい。そして何より「銭湯風」ではなく、550円という事実をもって「本物の銭湯だ」と判断してもらうのがいいと、関根氏は考える。原宿のど真ん中に、550円で入れる銭湯がある――その事実が、銭湯という文化を未来へ残そうとする意思を強く示している。

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