デジタルエコノミーの未来生活経済におけるデジタル諸相2[貨幣のデジタル化とデジタルエコノミー] 第3回(2/2 ページ)

» 2006年08月23日 08時00分 公開
[成川泰教(NEC総研),ITmedia]
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 情報のデジタル化というと、テキスト、音声、画像、動画といったメディアや表現手段という「相」について語られることが多い。そのため、ここで考える貨幣のデジタル化を情報のデジタル化と同義に扱うことは、多くの人が何らかの違和感を抱くことだろう。その理由は、表現手段としての情報には量的な限りがないのに対して、貨幣は厳密に管理されたものであるという質的な違いにある。貨幣はあくまでもさまざまなものの経済的価値に関する尺度であり、その価値を表現する対象がないと、単独では意味をなさない。ましてやそれ自身では何も語らないものである。

 しかし、語るものと計るものの性質がある場合には、デジタル化によって均質化したとき、貨幣と情報はひとりでに補完し合い、その間の親密性はさらに深く激しいものになる。世の中で何かが起こるたびに、さまざまな情報が駆け巡り、モノに対する貨幣の価値は増減を繰り返す。その過程で消費される情報は一方的に増え続ける。こうした関係性は今後さらに強まることになるだろう。

 このような方向性が、暴走することなく素直に経済の活性化に結び付くことを期待したいものである。

 電子マネーという言葉が最初にブームとなった90年代半ばは、それによって実現する経済社会について多種多様な考えが生まれ、議論された。しかし、当時の論文を見てみると、そのメリットとして挙げられていたことの大半は、現在インターネットを用いたECや決済によって実現しているものとほとんど同じであったことが分かる。つまり、当時考えられていた電子マネーというものは、貨幣のデジタル化とほぼ同義であった。実際に導入された手段は必ずしも普及しなかったが、それが目指したメリットはインターネットによって着実に実現しているのである。

 いま再び脚光を浴びている新しい電子マネーは、その意味ではもう少し現実的な事業としての観点から、新たな技術にも適用する形で進められている。だが、その本質はやはり同じところにあるように思える。利便性や効率性などの点で、生活者あるいは事業者にとっての新たなメリットは確かにある。しかし、それが導入されたからといって、既に始まっているデジタルエコノミーの流れが大きく方向転換するわけではないのである(「月刊アイティセレクト」掲載中の好評連載「新世紀情報社会の春秋 第五回」より。ウェブ用に再編集した)。

成川泰教(なりかわ・やすのり)

株式会社NEC総研 調査グループチーフアナリスト

1964年和歌山県生まれ。88年NEC入社。経営企画部門を中心にさまざまな業務に従事し、2004年より現職。デバイスからソフトウェア、サービスに至る幅広いIT市場動向の分析を手がけている。趣味は音楽、インターネット、散歩。


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