現場で効くデータ活用と業務カイゼン

医療現場の視点で開発したナレッジベース――新日鐵広畑病院 平松医師の取り組み(前編)導入事例

基幹系システムの主な目的は、業務プロセスの効率化。しかし業務に関する過去の情報が蓄積されていても、それを提供する機能が限定的であることが少なくない。医療現場の意思決定を支援するシステムを、医師自身が構築した例を紹介する。

» 2010年08月24日 08時00分 公開
[岡田靖&編集部,ITmedia]

 兵庫県姫路市にある新日鐵広畑病院は、その名の通り新日本製鐵の企業内病院に由来を持つ。今では一般の診療も受け付けており、平成10年に医療法人として独立し、地域の総合病院として、近隣の診療所などと連携した医療サービスを提供している。

医師にとってのナレッジベースを、自らの手で作る

新日鐵広畑病院 産婦人科部長の平松晋介氏 新日鐵広畑病院 産婦人科部長の平松晋介氏

 医療サービスを提供し、患者の生活の質を高めることが、医療機関のコア業務であることは言うまでもない。ただし、各種の法令による厳しい規制があり、健康保険制度などの都合もあって、数多くの煩雑な手続きが医師の業務として発生する。また、医療サービスを提供するために医師や看護師、薬剤師、技師、療法士や事務職員まで、さまざまな専門性を持った職種が勤務しており、それぞれの業務を効率的に連携させることが欠かせない。

 このような背景から、医療機関で広く使われているシステム、例えば医療事務(医事)システムやオーダリング、電子カルテなどは、いわば医療機関の基幹系システムであり、組織全体の業務を効率化するのが主な目的となっている。見方を変えると、医事システムが病院内の各業務に最適化されているとは、必ずしも言えないのだ。

 この課題に早くから気付き、自分の手で医師の業務を効率化していこうと考えたのが、新日鐵広畑病院で産婦人科部長を務める平松晋介医師である。

 「医事システムや電子カルテシステムのほとんどは、医療に携わる人間が作ったものではありません」と平松医師は指摘する。

 「医師が患者を診察し、診断を下し、治療する上では、過去のナレッジの蓄積が大切です。医師とはいえ、記憶力は完璧ではありませんから、しばしば自分が担当した過去の症例記録などを予習して、患者に接しているのです。例えば、前に同じような病気で手術をした患者の情報を参考にする、といったケースがあります。そのために役に立つナレッジベースがあればベストですが、残念ながら電子カルテシステムの多くは、我々の要求を満たすものではありませんでした。それは定型化された事務作業の効率化を目的としており、データベース(DB)のテーブル定義も、それに沿ったものですから、医師の診断の参考にはならないのです。ですから、言うなれば“医師向けのナレッジベース”が欲しいと考えていました」(平松医師)

 医師になる前には、プログラマーとしてシステム開発の仕事をしていたこともあるという、異色の経歴を持つ平松氏。その開発経験を生かし、勤務先の医療機関で医師の業務をサポートするためのシステムを自分ら作り始めた(当時は違う病院に勤務していた)。そこで使われたのがFileMakerだ。まだ日本でリリースされたばかりの頃で、バージョンは“2”だったという。

基幹系から情報を受け取って整理・活用する仕組みに発展

 その後、平松医師はシステムの改良を続け(FileMakerもバージョンアップを続け)、新日鐵広畑病院に移ってからも、システムは発展を続けている。その過程で、平松医師の専門である産婦人科だけでなく、他科の医師、さらには事務職員などにとっても、役立つ機能が加えられていった。現在では電子カルテシステムや検査システムなどとも連携し、それらのデータを取り込んで業務支援に活用できるまでになった。

 ここから、システムの具体的な活用例を紹介しよう。例えば平松医師の専門科目である産婦人科での例だ。


胎児の成長過程をグラフで表示し、一目で分かるようにしている(画像クリックで拡大)

 「出産を控えた患者の場合、まず外来で定期的に診察を受け、出産が近づいたら入院するという、1年弱のサイクルがあります。他科とは違い、出産に向けて必ず、外来と入院の両方が発生するため、本来は1人の患者さんについて、両方の視点からデータを集約するべきです。ところが一般的な電子カルテなどのシステムは、そういった設計になっていません。そこで、そのような情報を一貫して管理できるシステムが重要となるのです」(平松医師)

 胎児の診察に多用される超音波診断装置(院内では通常「エコー」と呼ばれる)は、胎児を自動的に見分け、その各部の大きさを測定できる。平松医師はこのエコーから、自動的にFileMakerのDBへ情報を取り込み、大きさの推移をグラフとして表示する機能をシステムに盛り込んでいる。

 「グラフにしておくと、一目で胎児の経過が分かります。入院時には、このグラフを入院カルテの表紙として貼り込んでおり、医師が参考にできます」(平松医師)

 また産科では、母親が里帰りして実家近くの医療機関での出産を希望するケースも少なくない。このようなときに必要となる紹介状を書く作業も、医師にとっては負担だ。保険などを利用する際に必要な証明書なども同様である。これらの資料では診察記録を網羅しておかねばならないので、カルテの情報を整理するだけでも大変な作業になっている。

紹介状などの書類作成時には、必要な情報のほとんどが、医事システムから自動的に抽出される(画像クリックで拡大)

 「こういった書類は、“本当に考えて書かなければならないのは最初の数行だけ”ということも多いのですが、それでは書式の体裁を満たさないため、多くの医師は定型部分を手書きで記入しています。ですがここでは、定型部分を簡単に作れるよう、電子カルテシステムからFileMakerにデータを取り入れて作った台帳から、過去のデータを引用できるようにしました。半自動で証明書や紹介状を出力できます。5秒もあれば書類を作成でき、しかも封筒の宛名印刷とも連動しているので、手書き作業は発生しません。例えば出生証明書は、ミスが許されない上に、量も多い書類ですが、システム化したおかげでミスもなく、効率的に作成できます」(平松医師)

 ほかの利用例も紹介しよう。例えば、がんなど悪性腫瘍の化学療法を行う際の投薬管理だ。化学療法では、医薬品の組み合わせや使える量、投与するタイミングなど複雑な条件があり、医師は患者の状況や過去の経緯などを踏まえつつ、きめ細かな判断を下す必要がある。ところが、これもまた、「電子カルテはナレッジベースとしては使えません」(平松医師)という。

 平松医師は、医事システムとは別にFileMaker上でデータを蓄積し、医師が参照できる仕組みを用意している。しかも、過去のデータを参考に新たな投薬内容を決定するだけでなく、ミスを防ぐための工夫も盛り込まれている点がユニークだ。化学療法に使われる医薬品は副作用の強いものが多く、数量にミスなどがあれば患者の生命にも危険が及ぶため、特に注意が必要なのである。

 「あえて、電子カルテシステムと直接連携をさせていません。ここでは医師が、二重に入力することになります。入力された情報は、電子カルテシステムとFileMakerの2系統で薬剤部に伝わるため、両者の入力内容を自然に突合できるのです」(平松医師)

 医師の観点で業務の効率性を追求し、かつ安全性にも配慮した工夫が、このシステムの要点だと言えるだろう。

8月26日公開予定の後編に続く

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