これまでIT業界で「宿敵同士」といわれてきたIBMと富士通が協業に向けて動き出した。両社のパートナーシップは、いったい何を意味するのか。エージェンティックAI時代の両者の立ち回りとともに考察する。
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「これは歴史的な瞬間だ」――両者はこう言いながらガッチリと握手した。両者とは、富士通の時田隆仁氏(代表取締役社長CEO)と、日本IBMの山口明夫氏(代表取締役社長)のことだ。日本アイ・ビー・エム(IBM)が2025年9月17日に都内ホテルで開催した年次イベント「Think Japan」のキーノートでのひとコマだ。
同日、両社は「日本が抱えるさまざまな社会課題を先進的なテクノロジーを活用して解決し、より良い社会の実現を目指す」ことを目的に、協業に向けて検討することに合意したと発表した。検討内容としてはまず、日本市場における「AI」「ハイブリッドクラウド」「ヘルスケア」の領域において、両社の共創を通じて新しい価値を創出するとしている。
IBMと富士通の関係は、IT産業の歴史に刻まれたさまざまな出来事から「宿敵」とも「犬猿の仲」とも言われてきた。それだけに今回の発表とともに両社のトップが笑顔で握手して語り合う姿には、多くの関係者が驚いたことだろう。
それでは、今回のイベントのキーノートで具体的に何が語られたのか。
山口氏は「何とか社会を良くしたい。お会いしてからずっとその話をしてきて、このたび具体的に協業を検討する運びとなったパートナー企業の代表にご登壇いただきたい」として、富士通の時田氏を紹介し、その後20分余りにわたって両者で対談した。
山口氏は、「時田さんとはそれぞれ社長に就任した時期がほぼ同じ(2019年5〜6月)で、システムエンジニア(SE)というバックグラウンドも同じだったのでシンパシーを感じて私からごあいさつに伺った。それ以来のお付き合いで、いろいろ話しているうちに『お互いのテクノロジーで社会に貢献できることを一緒に企画していこう』と意気投合し、今回の協業検討に至った」と切り出した。
これに対し、時田氏は「私のベストフレンドである山口さんからお招きをいただき、本日ここに参上した」と返し、社会貢献への思いを富士通の歴史から次のように語った。
「今年で90周年を迎えた当社は、その歴史の中で1960年代に私どもの先輩であり『国産コンピュータの父』ともいわれる池田敏雄さん(故人、元富士通専務)がリレー式コンピュータを開発した。これが当社にとって最初のメインフレームだ。その際、池田さんは『人間が持つあらゆる機能のうち、コンピュータに置き換わる機能がたくさんあることを確信したと同時に、人間はそれ以上のことをやるべきだと懸命に説いていた』とのことだ」
さらに、こんな話も披露した。
「私が入社した1980年代、当時の山本卓眞社長が『富士通の従業員一人一人が持っている夢を大切に育むことが社会の夢を実現することにつながる。それが人類の夢である、格差社会や環境問題の解決につながる』と説いていた。こうした先人たちの思いを胸に、今後も一生懸命、社会に貢献できるように努めたい」
山口氏はこうした時田氏の話を受けて、「当社も長年にわたって日本で事業を展開する中で、社会貢献に向けて一緒に考えて動けば、何か新しい価値を創出できるのではないかと時田さんと話してきた。そして今、ここで話していて、このタイミングから何か新しいことが始まるのでないかと強く感じている」と、高揚感を示した。
それを聞いた時田氏は、「今、日本は社会も企業も変わろうとしているし、変わらなければいけないという意識が高まっている。そうした危機意識をバネに力強く前進できるように、われわれはテクノロジー企業として、競争するところは切磋琢磨(せっさたくま)し合い、社会貢献に向けて共創できるところはお互いの持てる力を結集したい。そして、日本の社会や企業が強くなる“勝ち筋”を見いだしたい。この両社のパートナーシップに賛同いただき、一緒にやろうと思った方々は、ぜひお声がけください」と、賛意を示して呼びかけた。
以上、「私からごあいさつに伺った」「私のベストフレンド」といった印象的なやりとりをはじめ、富士通の先人たちの話、そして両者の強い思いを感じた部分を、対談の中から抜粋して紹介した。
ただ、筆者は両社の「歴史的な」パートナーシップに、きれいごとだけでなくIT産業の構造変化およびその変化に伴う両社の思惑を感じた。
以下、具体的な協業の検討内容を紹介した上で、筆者の考察を述べたい。
富士通と日本IBMが協業に向けて検討する内容として挙げているのは、先に述べたように「AI」「ハイブリッドクラウド」「ヘルスケア」の3つの領域だ。両社におけるそれぞれの課題意識と検討内容は次の通りだ。
「企業におけるAIの活用が進展し、業種・業務特化型のAIによる生産性向上と競争優位性への期待が高まっている一方、AI基盤の整備が喫緊の課題となっている」とする。
これに対して「両社は業務知見や日本語強化LLM(大規模言語モデル)、横断的なAIガバナンスやAIオーケストレーションなどの価値やアセットを持ち寄り、業種および業務特化型AIの開発、ならびに統合AI基盤の構築における協業を検討する」としている。
「ITシステムのハイブリッドクラウド化が進展し、データセンターレベルでの運用の高度化とコストの最適化および現行システムのモダナイゼーションなどが課題となっている」と指摘した。
これに対して「両社が有する汎用(はんよう)および業種・業務に特化したクラウド環境やその高度化方法などの価値やアセットを持ち寄り、国内関連法令および規制に適合したシステム環境の構築を目的とした、データセンターにおける連携や自動化、『FinOps』のさらなる適用を検討する。また、モダナイゼーションのためのハイブリッドクラウド環境への移行作業についても検討を開始する」としている。なお、FinOpsは「サステナブルで高効率なリソース活用のための財務と運用を組み合わせたフレームワーク」のことを指す。
「日本は、持続的な医療体制の維持やドラッグロスなど、ヘルスケアに関わるさまざまな課題に直面している。AIを用いた医療データの利活用はこの課題を解決する一手になり得るが、現状、利活用できる医療データが十分ではなく、AIについても多岐にわたる課題を解決するまでには社会実装されていない」と指摘した。
こうした状況に対して「医療データ主体の権利保護と適切な法令順守を前提として、ヘルスケア領域における課題解決のために両社の医療データプラットフォームを互いに連携させることを検討するとともに、その医療データプラットフォームを活用したAIサービスに関する協業検討も開始する」とのことだ。
今後、各領域における検討内容の協議を進め、その具体化に向けて2025年内に合意書の締結を目指すとしている。
なお、「IBMと富士通の関係は、IT産業の歴史に刻まれたさまざまな出来事から『宿敵』とも『犬猿の仲』ともいわれてきた」と先述した。もはや昔の話が多いが、両社の関係における最大の出来事を取り上げたのが「メインフレームOSを巡る1980年代の著作権紛争」について書いた筆者の記事が本サイトのアーカイブ(2006年7月18日掲載の「温故知新コラム:日米IT業界最大の著作権紛争が決着した日」)だ。
また、時田氏が話題に上げた山本卓眞氏についても2012年2月6日掲載の本連載「富士通元社長の山本卓眞氏が残した次代へのメッセージ」に池田敏雄氏のエピソードも含めて書いている。どちらも参照いただきたい。
最後に今回の出来事について、筆者なりに考察したい。
まず、タイミングだ。今、IT産業はAI活用の時代を迎え、とりわけこれからはエージェンティックAIによって業務システムの在り方が大きく変わる可能性が高い。ここで言うエージェンティックAIは、マルチベンダー・マルチタスクのAIエージェントをオーケストレーションおよびマネジメントできる利用環境のことだ。要は、エージェンティックAIを実現したプラットフォームが新たなエンタープライズIT基盤になるというのが、筆者の見方だ。
大手のIT企業はこぞってこのエージェンティックAIの実現に向けたプラットフォームを打ち出しており、それぞれに連携する世界も広がるだろうが、注目したいのはその中でもどこが市場形成の主導権を握るかだ。現状では、有力なIaaSやPaaSを提供するクラウドサービス事業者の存在が目立つが、日本ではパートナービジネスの割合が大きいこともあり、SI(システムインテグレーション)やコンサルティングを含むITサービス事業者が主導権を握る可能性も大いにありそうだ。
そんなタイミングでの今回の動きは、大手のITサービス事業者でもある両社がパートナーシップを組んで主導権争いに名乗りを上げ、同業者を巻き込んで一大勢力をつくろうという思惑があるのではないか。そう感じたので、キーノートの後に開かれた記者会見で、山口氏に業務システムの在り方や新たなプラットフォームの主導権争いについて聞いた。すると、同氏は次のように答えた。
「業務システムの在り方については、エージェンティックAIによってビジネスモデル自体が変わっていくだろう。ただ、エージェンティックAIをうまく使うには、業務の中身に精通した人材がさらに必要になると見ており、当社はそこに注力したいと考えている」
「AIを活用した社会課題の解決に向けて、強力なパートナーエコシステムをつくる必要があると考えているが、自分たちが主導権を握ろうといった話は時田さんとの間でもやっていない。とにかく日本を良くしたいというピュアな思いからの話だと理解いただきたい」
振り返れば、IBMも大きく変わった。かつてはメインフレームでITの覇者として君臨していたが、オープンシステム、そしてクラウドと時代が移り変わる中で存在感に陰りが出た。だが、ここにきてハードウェアを含めてAI分野での躍動ぶりが注目されるようになってきた。とりわけ、筆者にとっては「あのプロプライエタリ(独占的)の固まりだったIBMがオープンの先導役に」との印象が強い。そのオープンに必然なのが、パートナーエコシステムである。
来るエージェンティックAI時代に、IBMと富士通がどう立ち回るか、注目していきたい。
もう一言、筆者の記憶から。先述した「温故知新コラム」で記した1988年12月2日の米国仲裁協会(AAA)による著作権紛争を巡る記者会見は、東京都港区のホテルオークラ東京で開催されたと記憶している。くしくも今回のイベントも同じホテルだった。取材しながら37年前の会見を思い出し、隔世の感を抱いたのは筆者だけかもしれないが。ちなみに、37年前の会見は深夜に及び、帰宅できなくなったこともしっかり記憶している。
フリージャーナリストとして「ビジネス」「マネジメント」「IT/デジタル」の3分野をテーマに、複数のメディアで多様な見方を提供する記事を執筆している。電波新聞社、日刊工業新聞社などで記者およびITビジネス系月刊誌編集長を歴任後、フリーに。主な著書に『サン・マイクロシステムズの戦略』(日刊工業新聞社、共著)、『新企業集団・NECグループ』(日本実業出版社)、『NTTドコモ リアルタイム・マネジメントへの挑戦』(日刊工業新聞社、共著)など。1957年8月生まれ、大阪府出身。
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