東大の研究室は最先端ではなかった:挑戦者たちの履歴書(8)
編集部から:本連載では、IT業界にさまざまな形で携わる魅力的な人物を1人ずつ取り上げ、本人の口から直接語られたいままでのターニングポイントを何回かに分けて紹介していく。前回までは、漆原茂氏の東大で工学部に進んだところまでを取り上げた。今回、初めて読む方は、ぜひ最初から読み直してほしい。
コンピュータを自分の手で作ってみたい。
コンピュータが実際何に使われているかを知りたい。そう思い、東大工学部に進学した漆原氏だったが、研究室で実際にハードウェアの研究に携わるうちに、ある思いにとらわれることになる。
漆原氏が所属していた研究室では、企業からの委託研究を請け負っていた。同氏はそこで初めて、企業におけるコンピュータ研究の一端を垣間見ることになる。
「大学よりも、企業で行われている研究の方がはるかに進んでいると思いました。とにかく、お金のかけ方が圧倒的に違うのです。大学では部品1つ買うのにも気を遣うところが、企業だとマシン1台がポンと出てくる」
最先端の研究には、どうしてもお金が掛かる。ましてや、日進月歩のコンピュータの世界であれば、なおさらだ。そうなると、資金力のある企業の方が、大学より進んだ研究が可能になることも、往々にしてあるだろう。
そもそも漆原氏がコンピュータを研究する道に進んだ理由の1つは、最先端の技術にすぐ触れられると思ったからだ。物理学など歴史の古い学問に比べて、新しい分野であるコンピュータならば、比較的すぐに最先端に追い付けると思ったのだ。「とにかく、最先端の世界が好きなんです。これはもう、昔からの性格と言っていいと思います」。
ところが、コンピュータの最先端だと思って入った東大工学部が、実は完ぺきな環境ではなかった。企業の方が、はるかに進んだ研究をやっているように見える。このような印象を強く持った同氏は、1つの決断を下すことになる。
「大学院には進まないことにしました。どうしても最先端のことがやりたかったので、大学を卒業したら企業に行こうと決めました。理論研究では大学はずば抜けてましたが、コンピュータを作ったり利用する面では、企業の方が面白そうだと思ったからです」
一般的には、理系の学生は大学院に進んで研究を続けるのが通常である。研究者を目指すにせよ、企業に就職するにせよ、その方が有利だとされている。
しかし、「最先端を追求する」といったはっきりとした目的があった漆原氏にとっては、そのような世間の常識は関係なかったのだろう。好きなことはとことん追求する。物事にはっきりと優先順位を付ける。こうした信条を持つ同氏ならではの決断だといえよう。このあたり、筆者のような凡人とはやはり考えることが違う。
そしてこの時期にもう1つ、新たな気付きを得ることになる。
少年時代から一環してコンピュータのハードウェアの世界を探求してきた。そして、大学の研究室でもなかなか良いハードウェアを開発できたと自負していた。こうして、ハードウェアの世界をあらためて見渡したとき、「さて、この高度なハードウェアを動かすソフトウェアは、どこにあるのか?」という疑問が浮かび上がったのだ。
このとき初めて、「やっぱり、良いソフトウェアはとても重要だ」と、ソフトウェアの重要性に気付かされた。
そこで、就職先の企業を探すに当たっては、ハードウェアだけでなくソフトウェアも開発している、コンピュータ系のメーカーに的を絞ることにした。
「ハードウェアとソフトウェアの分野を両方やっている企業に行きたいと思いました。まずはハードウェアとソフトウェアが融合している世界、つまりOSをやってみたいと思ったんです」
一般のコンピュータユーザーの立場からすると、ソフトウェアといえば真っ先にアプリケーションのことを思い浮かべるが、アプリケーションをやってみたいとは思わなかったのか?
「当時のわたしが思い浮かべることができたアプリケーションといえば、ワープロや表計算ソフトがせいぜいのところで、ハードウェアをずっとやってきた立場からすると、何となくオモチャのように見えたんです。これは後になって、とんでもない勘違いだったことが分かるのですが。それに、目指していたのは『コンピュータを作ること』でしたから、ハードウェアの次はOS、というのが自然な流れでした」
こうしてメーカーに就職することを決意した同氏だが、大学院には本当に未練はなかった?
「大学院に進む気はまったくなかったので、試験も受けませんでした。でも、例え進みたくても進めなかったと思います。だって、興味のない科目はほとんど勉強していませんでしたから」
そう言って、漆原氏は屈託なく笑った。
この続きは、5月31日(月)に掲載予定です。お楽しみに!
著者紹介
▼著者名 吉村 哲樹(よしむら てつき)
早稲田大学政治経済学部卒業後、メーカー系システムインテグレーターにてソフトウェア開発に従事。
その後、外資系ソフトウェアベンダでコンサルタント、IT系Webメディアで編集者を務めた後、現在はフリーライターとして活動中。
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