採用基準は、“1度は夢に破れていること”:挑戦者たちの履歴書(20)
編集部から:本連載では、IT業界にさまざまな形で携わる魅力的な人物を1人ずつ取り上げ、本人の口から直接語られたいままでのターニングポイントを何回かに分けて紹介していく。前回までは、漆原氏の起業直後までを取り上げた。今回、初めて読む方は、ぜひ最初から読み直してほしい。
ウルシステムズ株式会社(以下、ウルシステムズ)の設立に当たり、まずは資本金集めに成功した漆原氏。次にやらなくてはいけないのが、人集めだ。
「個人的な知り合いに声を掛けたりしましたが、求人の公募もやりました。しかも、ちょっと変わった方法で」
当時、IDGジャパンが発行していた月刊誌『JavaWorld』をはじめとして、複数のIT雑誌にウルシステムズの求人広告を掲載した。記事を執筆しながら、求人を行っていたわけだが、その方法が確かにちょっと変わっている。
まず、その掲載位置だ。通常であればメーカーやベンダの製品広告が掲載される見開き2ページの枠に、同社は堂々と求人広告を掲載した。しかも、製品広告には見えない、あるいは求人広告にも見えない、一風変わったデザインで読者の目を引くよう工夫した。
例えば、こんなものだ。見開き2ページの全面に、UMLのチャートが載っている。UMLのことを知らない、あるいは知っていてもチャートを読むことができない読者は、この時点で自動的に選考基準から外れる。
逆に、UMLが扱える読者の目には「おや?」と目に留まることになる。そしてチャートの内容をよく見てみると、「あなたはウルシステムズで働くのに向いているか、あるいはいまの会社に留まるべきか」ということが、フローチャート式で判断できる仕掛けになっている。
あるいは、ただ一言「欧米の後塵を拝してばかりでいいのか、おれたちは!」という一文とURLだけを載せたもの。あるいは、「Dead or UL」という一見意味不明(?)なキャッチコピーを載せたものなど、ほかにはない、個性的な求人広告を、自分の執筆記事とともに技術者向け専門誌に掲載した。
その結果、どのような人材が集まったのだろうか? やはり、個性的でトンがったタイプの応募者が多かったのでは?
「ただトンがっているだけの人は採用しませんでした。実は、『1度は夢に破れていること』という採用基準を設けていたのです」
夢に破れていること?
「真っすぐな技術者であればあるほど、IT業界の既存の会社に属していたら、ほぼ必ず理不尽な目に遭っているはずなんですよ。『自分たちの努力が顧客の価値につながらない』という理不尽ですね。技術が分かることはもちろんですが、そういう問題意識もきちんと持っている人に来てもらいたかったんです」
このように独特な採用活動を展開した結果、優秀なメンバーも集まってきた。では、こうしてそろったメンバーで、具体的にどのような活動を行っていたのだろうか? 現在ではコンサルティング企業として知られるウルシステムズだが、設立当初はどちらかというと、SI(システムインテグレーション)ベンダというイメージが強かったように筆者は記憶している。
「J2EE(Java 2 Enterprise Edition)をベースにした大規模基幹業務システムのスクラッチ開発。そこに完全に的を絞りました。まだ当時は、大手のメーカーやSIerは『本当にJ2EEでできるのか?』と疑心暗鬼だった領域です。しかし、オブジェクト指向やUMLなど最先端の方法論を駆使すればできる、自分たちだったら絶対にできる、と信じてやっていました。具体的な作業としては、プロジェクトの上流工程から入って、そこから設計・開発・実装までのすべてを一手に引き受けていました」
この戦略は、当たった。同社の売り上げは毎年倍々ゲームで増えていき、それに伴って要員もどんどん増やしていった。起業直後としては、極めて順調な立ち上がりだったといえよう。
ところで、このようなSIのモデルで、そもそも漆原氏が同社を設立した動機であった「顧客の立場に立って、顧客にとって本当に役に立つものを提供する」という目標は、達成できたのだろうか?
「その当時のモデルでも、ある程度はできていました。しかし、会社を設立して3年目、今後どういう方向を目指すべきか、これまでの実績も踏まえたうえで、ここで1度立ち止まってじっくり考える必要があると思いました」
2003年1月、漆原氏は会社の当時の主要メンバー全員を会議室に招集する。
この続きは、6月28日(月)に掲載予定です。お楽しみに!
著者紹介
▼著者名 吉村 哲樹(よしむら てつき)
早稲田大学政治経済学部卒業後、メーカー系システムインテグレーターにてソフトウェア開発に従事。
その後、外資系ソフトウェアベンダでコンサルタント、IT系Webメディアで編集者を務めた後、現在はフリーライターとして活動中。
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