人生のターニングポイントは「部下・子ども・起業」:挑戦者たちの履歴書(24)
編集部から:本連載では、IT業界にさまざまな形で携わる魅力的な人物を1人ずつ取り上げ、本人の口から直接語られたいままでのターニングポイントを何回かに分けて紹介していく。前回までは、漆原氏が起業し、上場するまでを取り上げた。今回、初めて読む方は、ぜひ最初から読み直してほしい。
本連載ではこれまで23回にわたって、ウルシステムズ代表取締役社長の漆原氏の半生を振り返ってきた。今回はその最終回となるが、同氏の半生を振り返ったとき、いつどのような人生のターニングポイントがあったのかを聞いてみた。
「3つのターニングポイントがあったと思います。1つ目が、会社に入って部下を持ったとき。2つ目が、子どもが生まれたとき。そして3つ目が、会社を作ったときです。この3つに共通しているのが、『自分ではない何か』『自分ではコントロールできない何か』を育てなくてはいけない、という点です」
会社の部下にせよ、子どもにせよ、自身のコントロールが及ばない他者である。にもかかわらず、育てていかなければならない責務が生じる。会社もそうだ。たとえ自身で起業した会社であっても、いったんビジネスが走り出した後は、もう自分の思い通りにはいかないことだらけだ。
「こうした出来事に遭遇して、当時は悩んだりもしましたが、逆に自分の中だけで物事を処理していたときには気付くことができなかったことがいっぱい分かって、わたし自身の考え方が大きく変わった転機でもありました。ですから、こういう経験はやっぱり人を伸ばすのかな、と思います。わたし自身がちゃんと伸びているかどうかはさておき……」
これまで本連載を読まれてきた読者の中には、漆原氏に対して「わが道を行くイケイケのベンチャー起業家」といったイメージを持った方もいるかもしれない。しかし、それは誤解だ。同氏もやはり誰しもと同じく、自分ではコントロールできない、思い通りにいかないさまざまな事柄に悩まされ、それでも何とか折り合いを付けながら、徐々に自身の世界を広げていったのである。
実際のところ、本連載の取材を通じて筆者が感じた同氏の最大の魅力は、その頭の良さではなく、豊富な知識でもなく、その華麗なキャリアでもなく、何よりも「人を惹き付けて止まない何か」である。
言葉でうまく説明できないのが歯がゆいのだが、「この人の言うことなら信じられそうだ」や「この人には付いていけそうだ」と感じさせる何かを持っている。こうした人間的な魅力は、理屈で身に付くものではない。むしろ、同氏が先ほど挙げたような「理屈ではどうしようもない」ことに対して、他者と深く交じり合いながら泥臭く立ち向かっているうちに、自然と身に付いてくるものなのではないのだろうか。
ちなみに、現在では経営者としての活動が大きな比重を占める漆原氏だが、技術者としての活動も今後続けていくのか?
「もちろんです。ただし、技術者の定義というのは、年齢とともに変わっていくものだと思います。若いころは『プログラミングがどうこう』というのがメインでしたが、いまでは『技術の目利き』のようなことをしていきたいと思っています。そのためには、技術そのものよりも、むしろ人を見ることが重要だと思います」
「人を見る」とは、一体どういうことなのか?
「ある技術の中身が本物かどうかは、その技術についての情報を発信している人を見ていれば判断できます。ですから、知りたいことがあれば、情報を発信している人に直接コンタクトを取るようにしています。要するに、情報の“一次ソース”に当たるということです。これはとても重要なことだと思います。誰かが伝聞して書いた記事を読んで、それだけで分かった気になってはいけないということです」
これは、筆者のような物書き稼業にもそのまま当てはまる話で、何だか叱咤激励されたような気分になる……。
最後に、同氏のプライベートについても少し話を聞いてみた。仕事を離れたときには、どんなことをして過ごしているのか?
「子育てが趣味かなあ。子どもが通う学校のイベントには、必ず行くようにしています。また、公式なイベントとは別に、子どもたちの父親同士で集まる会があるのですが、これがとても面白いんです。あと、最近はいろいろ読書をしています。経営の本とか、歴史の本とか。昔読んだ数理系の本などを読み返してみることもあるのですが、これも面白かったりしますね」
ちなみに、自身の子どもにはIT技術者になってほしいか?
「特に『技術者になってほしい』という希望はありませんが、コンピュータのリテラシーは持っておいてほしいですね。やっぱり、コンピュータはツールとしては非常に重要だと思いますから。でも、現代の子どもたちは、物心付いたときから当たり前のようにインターネットや携帯端末があるのですから、やっぱりわたしたちとは育つ環境が違うのだろうなと思います」
こうした子どもたちが将来大人になったときには、現在の大人たちとはまったく違った発想を持っているかもしれない。
「そうですね、彼らの新しい発想が、未来の社会を作っていくわけです。だから、『昔のPCはね……』なんていう昔話をして、彼らの邪魔をしないように気を付けなきゃ、と常々気を付けているんです!」
私たちIT業界に携わる人間にとって、これから若い世代にITの魅力をどう伝えていくかというのは、極めて重要なミッションなのだろう。そして若い方々は、本稿を読んで少しでもITの世界に魅力を感じていただけたなら、筆者として喜びに堪えない。
24回にわたってお届けした漆原氏の履歴書は今回で終了です。次回からは、サイボウズ社長の青野慶久氏の履歴書を掲載予定です。お楽しみに!
著者紹介
▼著者名 吉村 哲樹(よしむら てつき)
早稲田大学政治経済学部卒業後、メーカー系システムインテグレーターにてソフトウェア開発に従事。
その後、外資系ソフトウェアベンダでコンサルタント、IT系Webメディアで編集者を務めた後、現在はフリーライターとして活動中。
- 学生の内にオープンソースの世界を踏み台にしろ!
- 第二次ブラウザ戦争の先にあるものとは
- Firefox成功の要因は“ブログの口コミ”
- 苦心したコミュニティとの関係構築
- 一度足を洗ったものの、再びブラウザの世界へ
- “1人ネットスケープ”になっても衰えなかった製品愛
- 聴力を失っても頑張り続けたネスケサポート
- 出産3時間前まで開発を続ける
- 結婚式の翌日には米国にとんぼがえり!
- “MOJIBAKE”を一般語化させる
- ネスケ本社のいい加減なテスト方法に驚愕
- 肌で感じた日米の“エンジニアへの待遇格差”
- 社会貢献が開いたブラウザ活動への道
- 出戻り先の東芝で出会った運命の相手
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