ボランティアに没頭した大学4年間:挑戦者たちの履歴書(35)
編集部から:本連載では、IT業界にさまざまな形で携わる魅力的な人物を1人ずつ取り上げ、本人の口から直接語られたいままでのターニングポイントを何回かに分けて紹介していく。前回までは、青野氏が大学院への進学でなく就職を決意するまでを取り上げた。今回、初めて読む方は、ぜひ最初から読み直してほしい。
コンピュータの勉強を極めるべく大学に進学した青野氏だったが、机上の学問ではなくより実践的で社会の役に立つことをするべく、大学院には進まずにプログラマとして就職することを決意する。
では、学問以外にはどのようなことをして大学時代を過ごしたのだろうか?
「大学時代の4年間、ボランティアのサークル活動をずっと続けていました」
ボランティアというと、具体的にはどのような活動を行っていたのか?
「所属していたのは大きなサークルで、点字や手話、知的障害者の方のサポートなど、いろいろなことをやっていましたが、ぼくが4年間続けたのは、養護施設の子どもたちに勉強を教えるという活動でした」
家庭の経済的な事情や、親の暴力などの理由でやむなく親元を離れ、養護施設で暮らす子どもたちに、学校の授業についていけるよう、勉強を教える活動だったという。
「とはいっても、勉強が嫌いな子に無理やり勉強させてもしょうがないですから、必要最低限のことだけ教えてあげて、あとはプロレスごっこをして一緒に遊ぶような感じでした。親と一緒に暮らせない子どもたちにとっては、毎週来てくれる兄貴というか、心の支えのような……」
自身の子ども時代のことを語っていたときの冗舌振りとは打って変わって、青野氏の口調は別人のように静かで落ち着いたものに変わっている。ひょっとすると、そのとき触れ合った子どもたち1人1人の顔が、同氏の脳裏に浮かんでいたのかもしれない。
振り返ってみれば、同氏は高校生時代にも老人ホームでのボランティアを体験している。こうした社会活動に対する意識というのは、当時から強く持っていたのだろうか?
「確かに、それは自分の中ではテーマとして持っているかもしれませんね。でも、うーん……」
これまで、速射砲のようにポンポン言葉を繰り出していた青野氏だが、この話題に移った途端、時折考え込みながら慎重に言葉を選ぶようになる。しかしその分、一言一言の重みは増しているようにも聞こえる。
「なかなかうまく表現できないんですけど……。自分が知っている人の中に、辛い思いをしてる人がいると、気になってしょうがないんですよね。何と言うか……。冷遇されている人がいると『ムカつく』というのが、ぼくの中にあるんですね。それは自分でもうまく説明できないんですけど……。『ぼくはこんなに楽チンな生活をしているのに、なぜかたや苦しい思いをしている人がいるんだろう』というのが、自分的には心地が悪いんです。なので、『もし自分にできることがあれば何かやりますよ、時間はありますし』という感じだったんですかね……」
これまで聞いた話から抱いていたイメージとは、まったく異なる青野氏の一面を見た気がした。こうした社会意識がお世辞にも高いとはいえない筆者としては、純粋に頭が下がる思いだ。こうした社会活動に対する意識は「自分の中の重要なテーマ」という同氏。サイボウズの社長を務める今でも、こうした意識は常に頭の片隅にあるという。
「社会人になったばかりのころ骨髄バンクができて、早速登録したんです。それ以降、まったく音さたがなかったのですが、おととしに突然骨髄提供の依頼があって、3泊4日で入院して手術を受けてきました。個人的には、とても面白い体験ができたと思っています」
自身が麻酔で眠っているところをデジカメで写真を撮ってもらったり、ブログでその体験をつづったりしたという。しかし、サイボウズの社長としての多忙な日々の中で3泊4日という時間を捻出するのは、相当大変なことだったに違いない。
「でも、そうした社会活動に本当に真剣に取り組む人は、こんなところで会社の社長なんてやっていないと思うんですね。それこそ、国境なき医師団とかに行ってると思うんですけど、ぼくはそこには行かないで、こんなぬくぬくと暖房の効いた部屋にいるので、あまり説得力はないんですけどね!」
こう言って青野氏は、明るく自分自身を笑い飛ばしてみせた。
この続きは、8月4日(水)に掲載予定です。お楽しみに!
著者紹介
▼著者名 吉村 哲樹(よしむら てつき)
早稲田大学政治経済学部卒業後、メーカー系システムインテグレーターにてソフトウェア開発に従事。
その後、外資系ソフトウェアベンダでコンサルタント、IT系Webメディアで編集者を務めた後、現在はフリーライターとして活動中。
- 学生の内にオープンソースの世界を踏み台にしろ!
- 第二次ブラウザ戦争の先にあるものとは
- Firefox成功の要因は“ブログの口コミ”
- 苦心したコミュニティとの関係構築
- 一度足を洗ったものの、再びブラウザの世界へ
- “1人ネットスケープ”になっても衰えなかった製品愛
- 聴力を失っても頑張り続けたネスケサポート
- 出産3時間前まで開発を続ける
- 結婚式の翌日には米国にとんぼがえり!
- “MOJIBAKE”を一般語化させる
- ネスケ本社のいい加減なテスト方法に驚愕
- 肌で感じた日米の“エンジニアへの待遇格差”
- 社会貢献が開いたブラウザ活動への道
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