Webアプリケーションの可能性に取りつかれて創業:挑戦者たちの履歴書(39)
編集部から:本連載では、IT業界にさまざまな形で携わる魅力的な人物を1人ずつ取り上げ、本人の口から直接語られたいままでのターニングポイントを何回かに分けて紹介していく。前回までは、青野氏が松下電工で社内ベンチャーを立ち上げるまでを取り上げた。今回、初めて読む方は、ぜひ最初から読み直してほしい。
松下電工株式会社(現パナソニック電工株式会社。以下、松下電工)で、社内にLotus Notes/Dominoを導入するプロジェクトに参画した青野氏。しかし、せっかく苦労して導入したにもかかわらず、ユーザーにほとんど使われないという結果に終わってしまった。一方、その後参画した社内ベンチャー企業で、同僚がCGIを使ってWeb掲示板アプリケーションをあっという間に組み上げる様を見た同氏は衝撃を受ける。「Lotus Notes/Dominoは、一体何だったのか!」と。
Webの技術を使えば、こんなに簡単に情報共有アプリケーションを作り上げることができる。この方法なら、Lotus Notes/Dominoよりもはるかに軽くて手軽なアプリケーションを、自分たちの手で作ることができるのではないか? 少なくとも、Lotus Notes/Dominoの導入に失敗したころ、もしそのようなアプリケーションがあったら、自分は絶対に採用していた。であれば、世の中的にも絶対ニーズはあるはずだ!
こうなると、もう居ても立ってもいられない。
「Web技術を使った情報共有ソフトウェアを世に出したい!」。そう思い立ったとき、青野氏の脳裏に1人の人物の顔が浮かんだ。大学時代の先輩であり、当時ジャストシステムに所属していた天才プログラマ、現在サイボウズの取締役とサイボウズ・ラボの代表取締役社長を務める畑慎也氏である。
青野氏は早速、畑氏に打診する。「今度社内ベンチャーを立ち上げまして、Webを使った情報共有アプリケーションを作ろうと思っているのですが……」。これに対して、畑氏は2つ返事で快諾。ジャストシステムを退職して、青野氏が立ち上げた社内ベンチャーに合流することになる。
実は畑氏はこの当時、青野氏が社内ベンチャーを立ち上げた当初からその動きに注目していたという。
きっと畑氏も、当時からWeb技術に高い関心を寄せていたに違いない。ぜひ青野氏の動きと合流して、Web技術を使った製品作りに携わりたいと思っていたというが、青野氏いわく「畑は、自分から『会社に入れてくれ』と言うのはプライドが許さないから、ぼくに何とか誘わせようと画策していたらしいんです! 畑にしてみれば、『アプリケーションを開発するというのに、なぜこのおれを誘わないんだ!』といったところだったのでしょう」。この辺りの経緯については、畑氏にはまた違った言い分があるかもしれないが……。
とにもかくにも、めでたく畑氏が合流し、Web技術を使った画期的な情報共有アプリケーションの開発体制が整った……。かに見えたが、青野氏いわく「微妙に居心地が悪かった」という。
「社内ベンチャーは、アプリケーションを開発して売るためではなく、あくまでも受託のシステムインテグレーションをやるために立ち上げた会社でした。アプリケーションのビジネスは、たとえ製品を作っても投資を回収できるかどうか分かりません。一方システムインテグレーションは、やっただけ稼ぐことができる固いビジネスモデル。そこで、相いれない部分が出てきたんです」
かといって、「Web技術を使った新しい情報共有アプリケーションを世に出したい」という思いを捨てることはできない。ここに至り、青野氏はついに独立を決意する。志をともにする畑氏、そしてサイボウズ初代社長を務めることになる高須賀宣氏とともに、3人で「サイボウズ株式会社」を旗揚げする。
結局、畑氏が松下電工の社内ベンチャーに所属していたのは、たったの2カ月間だけだった。「畑は『おれの履歴書はぼろぼろだ。どうしてくれる』とぼやいていました!」
ときに1997年、インターネットが世の中に急速な勢いで普及しつつあったものの、まだ業務用のWebアプリケーションがIT業界で認知されているとは言い難い時代だった。
この続きは、8月13日(金)に掲載予定です。お楽しみに!
著者紹介
▼著者名 吉村 哲樹(よしむら てつき)
早稲田大学政治経済学部卒業後、メーカー系システムインテグレーターにてソフトウェア開発に従事。
その後、外資系ソフトウェアベンダでコンサルタント、IT系Webメディアで編集者を務めた後、現在はフリーライターとして活動中。
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