社長に就任するも買収をほとんど失敗する:挑戦者たちの履歴書(45)
編集部から:本連載では、IT業界にさまざまな形で携わる魅力的な人物を1人ずつ取り上げ、本人の口から直接語られたいままでのターニングポイントを何回かに分けて紹介していく。前回までは、青野氏がサイボウズが上場するまでを取り上げた。今回、初めて読む方は、ぜひ最初から読み直してほしい。
前回紹介した通り、2002年にサイボウズ株式会社(以下、サイボウズ)は大規模向け製品のパートナー販売という、まったく新たなビジネスモデルへの挑戦に乗り出す。青野氏は副社長としてこの新たな挑戦の先頭に立ち、パートナー販路の開拓に努める。その結果、同社の新たなビジネスモデルは徐々に軌道に乗り出す。
その矢先の2005年、青野氏に一大転機が訪れる。当時サイボウズの社長を務めていた高須賀氏の退任と、それに伴う青野氏の社長就任である。
「高須賀さんから、『またゼロからビジネスを立ち上げてみたい』というお話があったんです。高須賀さんはもともと、新しいビジネスを立ち上げることが好きな人ですし、2005年当時でもう7年半も社長を務めていただいていたので、『じゃあ、後はわたしが頑張ります』ということで、社長を引き受けました」
こうして2005年2月、青野氏はサイボウズの代表取締役社長に就任する。高須賀氏は、米国で新たなビジネスを立ち上げるべく同社を去った。「本当は、会長として残ってもらう予定だったんですけど、『え、辞めちゃうんですか……』という感じでした」。前職の松下電工株式会社(現パナソニック電工株式会社。以下、松下電工)から行動を共にし、サイボウズを共に立ち上げた高須賀氏がいなくなり、代わってトップの座に就いた青野氏にのし掛かるプレッシャーは、相当なものだったに違いない。
ここで、青野氏が語ってくれた大学受験のエピソードを思い出す。受験勉強を順調に進めていたつもりが、受験日1週間前になって突然プレッシャーに襲われ、食事がまったくのどを通らなくなってしまったという。その出来事以来、同氏は常に「自分の精神面をいかに強くしていくか」ということをモットーにしているという。これは筆者の勝手な想像だが、ひょっとしたら社長に就任する際、青野氏はこのときのことを思い出して自分自身を奮い立たせたのかもしれない。
こうしてサイボウズの社長に就任した青野氏は、自身を鼓舞するかのように矢継ぎ早に新たな施策を打ち出していく。まずは、M&Aによる事業の拡大だ。何と、社長就任後の約1年半の間に9社を買収した。
「高須賀社長の時期に、M&Aで事業を拡大しようという路線が決まっていたので、わたしはそれを引き継いで実行に移していきました。『サイボウズ ガルーン』という大規模向け製品を着々と拡販してはいたものの、ビジネスに少し閉塞感が漂っていて、『僕たち、いまいちブレークしてないよね』という感じがありました。ただ手持ち資金はありましたので、これを使ってM&Aで事業の幅を広げていこうと考えたのです」
買収した会社のビジネス分野はさまざまだった。通信系、システムインテグレーション、運用サービス、コンサルティング、シンクライアントのハードウェア……。あえて、これまで自社で手掛けていなかった領域を扱う企業を買収していった。これだけ多種多様な領域に手を広げると、中にはうまくいかなかった例もあったのでは……。
「そうですね、ほとんど失敗でしたね」
青野氏はこうきっぱり言い切る。これには、質問したこちらの方が少し面食らってしまった。
「実際には、そのうち成功だったのは3社でした。3勝6敗です!」
こう言って周囲を笑わせる青野氏だが、失策をここまで率直に語る経営者というのは珍しいのではないだろうか。通常はひた隠すか、あるいはむりやりにでもサクセスストーリーに仕立て上げて語ることがほとんどだろう。
しかし、単に率直なだけではない。この辺りの、経営者の立場としてビジネスを語る青野氏の口ぶりは、軽快ではあるが、ある種のシビアさもにじむ。自身の若いころの生い立ちを話していたときの冗談交じりの軽やかな口調とは、やはり温度が違う。「3勝6敗」の数字には、ビジネスのシビアな現実感が含まれている。よくよく考えてみれば、M&A戦略における3勝6敗は、決して悪い数字ではない。しかし後述するように、青野氏はその後、このM&A路線を大きく方針転換することになる。
「自分たちは自らモノを作る“メーカー”を目指すのか、それともどこかからモノを持ってきて売る“商社”を目指すのか、明確に方針を決めないままM&Aに乗り出したところがありました。最終的には、サイボウズはメーカーを目指す道を選ぶことにしたのです」
この続きは、8月30日(月)に掲載予定です。お楽しみに!
著者紹介
▼著者名 吉村 哲樹(よしむら てつき)
早稲田大学政治経済学部卒業後、メーカー系システムインテグレーターにてソフトウェア開発に従事。
その後、外資系ソフトウェアベンダでコンサルタント、IT系Webメディアで編集者を務めた後、現在はフリーライターとして活動中。
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