これからは大公開、グローバルの時代!:挑戦者たちの履歴書(48)
編集部から:本連載では、IT業界にさまざまな形で携わる魅力的な人物を1人ずつ取り上げ、本人の口から直接語られたいままでのターニングポイントを何回かに分けて紹介していく。前回までは、青野氏がサイボウズが東証一部に上場するまでを取り上げた。今回、初めて読む方は、ぜひ最初から読み直してほしい。
子どものころから、気が付くといつもリーダーだった。中学では、特に望んだわけでもないのに、生徒会長に祭り上げられた。決して威張りたいわけではない。人を従えたいわけでもない。なのに、いつの間にか集団の先頭に立っている。
青野氏は、そんな天性ともいえるリーダーシップの資質を、現在サイボウズ株式会社(以下、サイボウズ)の社長として如何なく発揮している。社員数300人に満たない同社だが、IBMやマイクロソフトといった巨大グローバル企業に真っ向から勝負を挑み、そして着々と成果を上げつつある。外国製品が幅を利かせるパッケージアプリケーション市場で、日本企業として1人、気を吐く様は、見ていて実に痛快だ。
しかし、サイボウズの挑戦はまだまだ途上の段階にある。青野氏は果たして、今後同社をどのような方向に率いていこうとしているのだろうか?
「2005年にわたしが社長に就任したころ、従業員数は130?140人ぐらいいましたが、正社員が85人ほどしかいなかったんです。そこで、正社員の採用を一気に増やしました。これまでは中途採用が多かったのですが、新卒の採用を増やして、社内で人材をきちんと育成していく方針に変えました」
この採用方針の転換は、どのような目的があってのことなのか?
「M&Aなどで社外から製品を引っ張ってくるのではなく、きちんと社内でモノを作れる会社にしたいと思っているんです。そのために、人材をちゃんと育成する。社長就任後の5年間この方針を続けてきて、ようやくモノ作りの体制が整いました。『サイボウズ Office』や『サイボウズ ガルーン』だけではなく、もっと幅広い製品を世に出せるソフトウェアメーカーを目指す。そのためのスタートラインにようやく立てたと思っています」
サイボウズは2010年を、大航海時代になぞらえた「大公開時代」と銘打ち、次々と新たな製品をリリースしていくという。本稿執筆時点(2010年7月)では、既にスマートフォン用アプリケーション「サイボウズモバイル KUNAI」や、後述するMicrosoft SharePoint Serverをベースとした新しいグループウェア製品「Cybozu SP Apps」などがその一環として発売されている。
新興ネット企業からM&Aによる業務拡大の時期を経て、そして今、青野氏はサイボウズを本格的なソフトウェアメーカーへ脱皮させようと奮闘を続ける。
さらに、1度はついえた米国進出の機会も虎視眈々と狙っている。2009年9月、同社はマイクロソフトと業務提携し、「Microsoft Office SharePoint Server」をプラットフォームとするグループウェア製品を開発すると発表した。かつてはマイクロソフト製品の強力なブランド力の前に、米国市場で敗れ去った同社だが、今度は共に組むことにより米国での捲土重来を期す。
「グローバルビジネスは、必ずやります。『やらないのであれば、会社を閉じる!』というぐらいの勢いですね。“良いソフトウェアを作って世界中で使ってもらう”、やりたいことは基本的にそれだけなんです!」
若き日にソフトウェア技術者としての挫折を味わいながら、再びソフトウェアの世界に舞い戻り、今は経営という新たな舞台で挑戦を続ける青野氏。愛媛の地で育ち、愛媛で創業した同氏が今目指すのは、世界だ。
オーダーメイドによるシステムインテグレーションの伝統が根強い日本のIT業界。昨今では、そのビジネスモデルの構造的な問題も多く指摘されており、多くのIT企業が危機感を強めている。
しかし、青野氏率いるサイボウズの今後のチャレンジ如何によっては、そうした悪しき伝統にも風穴が開くかもしれない……。やはり、これからもサイボウズからは目が離せそうにない。
24回にわたってお届けした青野氏の履歴書は今回で終了です。次回からは、セールスフォース・ドットコム社長の宇陀栄次氏の履歴書を掲載予定です。お楽しみに!
著者紹介
▼著者名 吉村 哲樹(よしむら てつき)
早稲田大学政治経済学部卒業後、メーカー系システムインテグレーターにてソフトウェア開発に従事。
その後、外資系ソフトウェアベンダでコンサルタント、IT系Webメディアで編集者を務めた後、現在はフリーライターとして活動中。
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- 一度足を洗ったものの、再びブラウザの世界へ
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