“根拠のない自信”が大事:挑戦者たちの履歴書(51)
編集部から:本連載では、IT業界にさまざまな形で携わる魅力的な人物を1人ずつ取り上げ、本人の口から直接語られたいままでのターニングポイントを何回かに分けて紹介していく。前回まで、セールスフォース・ドットコムの宇陀氏を取り上げている。今回、初めて読む方は、ぜひ最初から読み直してほしい。
宇陀氏に話を聞いたのは2010年6月、ちょうど南アフリカでサッカーワールドカップが開幕した時期だった。この記事が掲載されるころにはもう同大会は終わっているが、ちょうど取材を行った時期は日本代表チームがグループリーグを勝ち抜けるかどうかで、日本中が盛り上がっていたころだった。
「ちょうど今、ワールドカップやってますけどね」
宇陀氏はこう切り出した。何の話かと思いきや、南アフリカ観光局が、ワールドカップ観戦のために同国を訪れる観光客に対するカスタマーサポートのサービス基盤として、セールスフォース・ドットコムの「Service Cloud 2」を採用したのだという。これは筆者も初耳だった。
「外部のソーシャルメディアと連携できるようになっていて、例えばTwitterで観光客が何か質問を書き込むと、南アフリカ観光局の担当者がTwitter上で回答できるようになっている。面白いでしょ?」
確かにこれは面白そうだし、ある程度ITリテラシーのあるユーザーにとっては、便利このうえないサービスだといえるだろう。さらに同氏はたたみ掛けるように、自社サービスの強みを力説する。
「ワールドカップの期間って、確か1カ月間でしたっけ? その期間のためだけに長い時間かけてシステム構築をして、で大会が終わったら次に使う機会が何年後になるかどうか分からないなんて、もったいないじゃないですか? でも、そういうタイプのITのニーズって、世の中にいくらでもありますよね。そういう場合には、やっぱりクラウドのようなシステムがフィットすると思うんですよ」
なるほど、まさにその通り!
そして、いつの間にか宇陀氏の話術に引き込まれ、セールスフォース・ドットコムの信奉者になりかけていた筆者。それにしても、同氏の話し方には実に説得力がある。それは単に、話の内容が理路整然としているというだけではなく、何というか、聞く人の情緒に訴えかける何かがあるように感じる。同氏の陽気でフランクなノリもその一端を担っているのだろうが、それだけではないはずだ。現在の同氏のキャラクターは、どのような遍歴を経て形成されたのだろうか? まずは少年時代から話を聞いた。
宇陀氏は6人兄弟の末っ子として、東京で生まれ育った。父親は当時、事業家として成功しており、一時はかなり裕福な時もあったようだ。
「僕自身は特に賢かったわけではなく、学校の成績が良かったわけでもなく、どちらかというと平凡なタイプの子どもだった思います。ただ、何か新しいことにチャレンジするとき、『何とか成功するまで努力し続けよう』と思っていたと思う。これは、事業家だった父と、古風で自己献身的な母の気質を両方引き継いでいるからなのかもしれない」
こうした子ども時代の気質は、現在の同氏の仕事に対する「根拠のない自信」にも、つながっているという。
「自信っていうものは本来、何かの根拠があってこそのものじゃないですか。でも僕の場合は、子どものころから『できるかどうかは分からないけど、でも成功するまでは頑張ろう!』という意識だけは常に持っていた。だから僕は、今でも『実行力』ではなくて『実現力』を大切にしているんです。『一生懸命頑張りましたけど、残念ながら実現しませんでした』では、意味がないですよ」
自分でやると決めたことは、実現するまで何が何でもやり抜く。ただ、ここで同氏が言っていることは、単なるドライな実利主義でも、あるいは逆にウェットな根性論のどちらとも異なるようだ。
「実現さえすれば、いろんなことが楽になるんです。周りからはおめでとうと言われ、『ありがとう、皆さまのお陰さまです』って答えれば済む。実現できない間は、いつまでも実行し続けなきゃいけないわけじゃないですか。また、できない理由や言い訳もしなくてはならない。『実行力』よりも、『実現すること』が大切で楽だと言うのは、そういうことです」
この続きは、9月13日(月)に掲載予定です。お楽しみに!
著者紹介
▼著者名 吉村 哲樹(よしむら てつき)
早稲田大学政治経済学部卒業後、メーカー系システムインテグレーターにてソフトウェア開発に従事。
その後、外資系ソフトウェアベンダでコンサルタント、IT系Webメディアで編集者を務めた後、現在はフリーライターとして活動中。
- 学生の内にオープンソースの世界を踏み台にしろ!
- 第二次ブラウザ戦争の先にあるものとは
- Firefox成功の要因は“ブログの口コミ”
- 苦心したコミュニティとの関係構築
- 一度足を洗ったものの、再びブラウザの世界へ
- “1人ネットスケープ”になっても衰えなかった製品愛
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