“水金雀鬼”との対戦がサラリーマン人生を変える:挑戦者たちの履歴書(57)
編集部から:本連載では、IT業界にさまざまな形で携わる魅力的な人物を1人ずつ取り上げ、本人の口から直接語られたいままでのターニングポイントを何回かに分けて紹介していく。前回までは、宇陀氏がIBMに就職するまでを取り上げた。今回、初めて読む方は、ぜひ最初から読み直してほしい。
大学を卒業して日本IBMに入社してすぐ、滋賀県野洲市にある工場の人事部門に配属された宇陀氏。割り当てられた仕事は、食堂とグラウンドの管理だ。その後の同氏のビジネスマンとしての活躍ぶりを思えば、意外とも思える新社会人生活の幕開けだが、同氏自身は野洲工場での牧歌的な日々を案外気に入っていたという。
「僕にとっては、野洲工場での伸び伸びとした生活は結構楽しかったんですよ。工場の人たちは皆、純粋でまじめに一生懸命やってるわけね。生き馬の目を抜くような世界とは無縁で、こういうノンビリした世界で生きていくのも悪くないなと思ってましたね。田舎だから土地は安いし、家賃も安いし」
しかし、野洲工場での社会人生活2年目、宇陀氏に大きな転機が訪れる。前回紹介したように、同氏は野洲工場内では「麻雀がめっぽう強い若手」として知られていた。そんな同氏の「雀鬼」ぶりに目を付けた人物がいたのだ。
「当時の本社人事部門のトップの人が、あだ名が『水金雀鬼』っていうほど麻雀が強い人で、毎週水曜日と金曜日は残業しないで、麻雀卓を囲んでいるような人だったのね。その人はいつも野洲工場でのミーティングには泊まりがけで来てたんだけど、ある日『宇陀君、今晩一緒に麻雀どうだい?』と誘われてね」
こうして、当時のIBM人事部門のトップと麻雀卓を囲むことになった宇陀氏。当時、同氏はまだ24歳。一方の相手は、50半ば過ぎの本社のお偉いさん。多少緊張したのか、あるいは水金雀鬼の老練なテクニックに翻弄されたのか、麻雀には絶対の自信があった同氏もなかなかいつもの調子が出なかったという。
「その人はさすがに強かったし、それにあのときは僕もツイてなかったんだよねえ。でも、何とかかんとかプラスでしのいで、最終局のオーラスまで来たんだけど、僕がリーチをかけて相手の最後の捨牌で上がったんですよ。そうしたら、『うーん……。君は本当に強い!』ってものすごく感心されちゃって!」
恐らくそのときの宇陀氏にとっては、数ある麻雀の対局のうちの1つにすぎなかったのかもしれない。しかしこの後、思わぬ展開が同氏を待ち受けていた。
「このすぐ後、その人事のトップの人が『宇陀君は、営業部門も経験させた方が良いから、営業に回せ』と言ったらしいんだよね。それで僕は、人事から営業に異動することになったんです」
よほど宇陀氏の印象が強かったに違いないが、しかし何という巡り合わせであろうか。麻雀の力量がきっかけで、同氏の社会人生活はこれ以降、ガラリと様相を変えることになったのだ。
「実際のところ、営業への異動のきっかけが、あの晩の麻雀だったかどうかは今でも分からないけど、思い返してみると、その人の価値観で、状況判断能力と、勝ちへの執着心みたいなものを感じたんだと思う」
麻雀用語に例えれば「引きが強い」といったところだろうか? 宇陀氏本人は意識しているかどうかは分からないが、後述する通り、その後も同氏は人生の節目ごとに不思議な強運ぶりを発揮することになる。とにもかくにも、日本IBMに入社して3年目、同氏は人事部門から一転して営業マンとしての道を歩むことになる。
当初は、東京本社の営業部門に配属される予定であった。しかし、
「当時、結婚を決めていたんだけど、相手が滋賀県出身だったから関西の方が良いと思って、急きょ方針を変えてもらって、大阪事業所の営業部門へ配属されることになったんです」
営業への異動を出世のチャンスと単純にとらえるのであれば、「是が非でも本社勤務に!」となるのだろうが、同氏はあくまでも自分の足元を冷静に見すえたうえで取るべき行動を選んだ。「東京だろうと大阪だろうと、勉強できることは山ほどある」
あれこれと姑息なことを考えるのは嫌い。最終的には自分で考えて自分で決めたことだから、楽しくやる。そして、麻雀で鍛え上げたリスクアンドテイクのバランス感覚……。この辺りに、同氏の「引きの強さ」の秘訣が隠されているのかもしれない。
この続きは、10月8日(金)に掲載予定です。お楽しみに!
著者紹介
▼著者名 吉村 哲樹(よしむら てつき)
早稲田大学政治経済学部卒業後、メーカー系システムインテグレーターにてソフトウェア開発に従事。
その後、外資系ソフトウェアベンダでコンサルタント、IT系Webメディアで編集者を務めた後、現在はフリーライターとして活動中。
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