本当に感謝された阪神大震災時の対応:挑戦者たちの履歴書(62)
編集部から:本連載では、IT業界にさまざまな形で携わる魅力的な人物を1人ずつ取り上げ、本人の口から直接語られたいままでのターニングポイントを何回かに分けて紹介していく。前回までは、宇陀氏がIBMの営業で好成績を上げて課長になったところまでを取り上げた。今回、初めて読む方は、ぜひ最初から読み直してほしい。
日本IBMの大阪事業所で製造業担当の営業課長を3年間務めた宇陀氏はその後、1993年から西日本におけるオープンシステムの販売責任者、そして1995年からは銀行担当の営業部長を歴任することになる。1995年といえば、関西圏に住む人にとって決して忘れられない出来事があった年である。阪神淡路大震災だ。
当時IBMのクライアントだった関西の大手銀行も、軒並み大被害を受けた。被災地にある支店のオンラインシステムは停止、業務復旧の見込みはそう簡単には立たない状況だった。通常、銀行の勘定系システムは、ほんの数十分間程度の停止でも莫大な金額の損害が発生すると言われている。ましてや、震災でコンピュータが軒並み物理的に破壊されてしまったのだから、システム復旧は困難を極めた。
こうした中、IBMの対応は素早かった。急きょ、代替機をクライアントに無償で提供したのである。
通常、ここまでのサービスは保守契約の範囲には入っていない。事実、あるベンダは、被災したクライアントに対して「今回は緊急事態ですから、半額で代替機を提供しますよ」と持ち掛けたという。しかし、このような緊急事態で、半額も満額も関係ない。いちいち稟議や決済などのプロセスを通している暇などないのだ。そこでIBMは、クライアントのシステム復旧を最優先させるために、保守契約の拡大解釈で代替機の無償提供を急きょ決めたのである。そして、その旗振り役となったのが、当時営業部長だった宇陀氏だ。
「まさに緊急事態なんだから、一刻も早くシステムを復旧させることが最優先。ましてや支店が機能不全に陥れば、その地域における深刻な社会不安にもつながりかねない。契約やらお金の話なんて、先々の付き合いの中でおいおい話し合っていけば良い話であって、今はとにかくすぐに代替機を提供することが先決。そう判断して本社にリクエストしたら、すぐに動いてくれた」
さらに、復旧現場で泊まりがけで作業している人たちにバスタオルや食糧を提供したりといった、メンタル面でのサポートも行った。もちろんこれも、ITベンダとしての平時の業務内容をはるかに超えるサポートだ。
「平時のルールをきちんと順守させるのは、マネジメントの大事な仕事の1つだけど、緊急事態のときはいちいちお伺いを立てる暇なんてない。状況を素早く判断して、その場で適切な手を即断するのもマネジメントの重要な仕事だと思うんですよ。でも今は、皆何かというとすぐ『ルール、ルール』と言い訳する傾向があるけどね」
宇陀氏いわく、ルールには2種類のものがあるという。1つは、絶対に守らせなくてはいけないルール。例えば、違法行為や反社会的な行為は絶対に許さない。こうしたルールを徹底させるのはマネジメントの大事な仕事の1つである。
しかしそれと同時に、ルールと呼ばれていても実は単なる慣習にすぎず、すでに時代にそぐわなくなっているものもある。こうしたルールに関しては、むしろ積極的に変えていくことも必要であり、これもマネジメントの大事な仕事の1つだ。ルールに関して言えば、この両方をやっていくのがマネジメントの職務だと同氏は言う。
こうして、わずか1年間という短い間ではあったが、1995年という関西の金融業界にとってはあらゆる意味で激動の年を、銀行担当の営業部長として過ごした宇陀氏。翌年に同氏は東京のIBM本社に転属となるのだが、その際にはクライアントが盛大な送別会を開いてくれたという。
「幹部の方々に集まっていただいて、『あなたが歴代で1番短かったけど、1番印象に残る営業部長だった』と言ってくださったときには、本当にありがたかったですね」
この続きは、10月22日(金)に掲載予定です。お楽しみに!
著者紹介
▼著者名 吉村 哲樹(よしむら てつき)
早稲田大学政治経済学部卒業後、メーカー系システムインテグレーターにてソフトウェア開発に従事。
その後、外資系ソフトウェアベンダでコンサルタント、IT系Webメディアで編集者を務めた後、現在はフリーライターとして活動中。
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