日本にデータセンターを作る理由:挑戦者たちの履歴書(71)
編集部から:本連載では、IT業界にさまざまな形で携わる魅力的な人物を1人ずつ取り上げ、本人の口から直接語られたいままでのターニングポイントを何回かに分けて紹介していく。前回までは、宇陀氏がセールスフォース・ドットコムの社長に就任するまでを取り上げた。今回、初めて読む方は、ぜひ最初から読み直してほしい。
2004年に宇陀氏が株式会社セールスフォース・ドットコムの社長に就任してから現在までの6年間で、同社は売り上げを何と20倍以上に伸ばし、日本におけるB2B向けSaaS/クラウド市場でダントツのシェアを誇るまでに急成長した。また、同社のワールドワイドにおける位置付けも、日本は米国に次ぐ2番目の市場規模となっている。
日本はブロードバンドの普及率が高く、モバイル端末の3G通信の利用率も世界的に見ると非常に高い。また、グループウェアアプリケーションの導入率も比較的高い。こうした背景から、日本では今後も独自のクラウドサービスへのニーズがますます高まっていくと同社では見ている。同社CEOのマーク・ベニオフ氏は、「Cloud 2」という次世代ITモデルを提唱しているが、日本はこれを具現化するには最も良い条件が揃っているエリアだと同氏は話しているという。
同社が日本市場を極めて重要視していることの表れが、東京都内へのデータセンターの設置計画だ。2010年5月に来日したベニオフ氏は、「2011年に、都内にセールスフォース・ドットコムのデータセンターを設置する」と述べた。この計画は、宇陀氏によれば単に日本市場だけに収まる話ではないという。
「日本のデータセンターで、中国や東南アジアなどアジア圏全体のサービスをカバーできればと考えているんですよ。言ってみれば、『日本をアジアのハブに』という構想ですね。潜在的な市場規模は中国が1番大きいですから、中国にデータセンターを置く企業は多いんですけど、日本企業の方がはるかに多くのノウハウやアライアンスを持っていますし、日本は知的財産権などでもレベルが高い国ですから」
こうした宇陀氏の構想は、単にセールスフォース・ドットコム1社だけのメリットを考えたものではない。同社が日本にデータセンターを構えることで、他社のビジネスも活性化できるのではないかと期待している。
「セールスフォースが大々的に日本のデータセンターを構えれば、他社も負けじと追随してデータセンターを設置してくるかもしれない。そうすれば、日本におけるクラウドビジネスはこれからどんどん盛り上がっていくじゃないですか。僕は、そういう思いもあってやっているんですよ」
さらに同氏は、もっと直接的に日本のクラウドビジネスを活性化する施策もプランしている。具体的には、日本でクラウドの優れた技術を持つ企業に対して出資するようなことも検討しているというのだ。実際、10月初旬にシナジーマーケティングという会社に少額出資した。また、「クラウドのインプリメンテーションに関する優れた技術を持ったパートナー企業には、セールスフォース・ドットコムとしてもどんどん増やしていきたい」と宇陀氏は言う。
そうした企業に対して資金援助を行えば、経営が安定するだけでなく、信用度が上がるのでほかの出資も募りやすくなる。また同様に、セールスフォース・ドットコムのプラットフォーム上で優れたサービスを展開しているISVパートナー企業に対しても出資して、場合によっては買収まで検討するかもしれないという。
「日本のIT業界で、古いゼネコン体質に染まっていない意欲的で優れた技術を持っている中堅企業が、クラウドビジネスで次の成長を図るお手伝いをしていきたいですね。ビジネスパートナーとして資金援助や技術支援などをして、なおかつデータセンターも日本にあれば、一緒にいろいろなことをやりながら共に成長していける。アジア圏はもちろん、場合によってはグローバルで一緒にビジネスを展開していってもいいですよね」
この続きは、11月19日(金)に掲載予定です。お楽しみに!
著者紹介
▼著者名 吉村 哲樹(よしむら てつき)
早稲田大学政治経済学部卒業後、メーカー系システムインテグレーターにてソフトウェア開発に従事。
その後、外資系ソフトウェアベンダでコンサルタント、IT系Webメディアで編集者を務めた後、現在はフリーライターとして活動中。
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