ITの発展史と共に生きた半生:挑戦者たちの履歴書(73)
編集部から:本連載では、IT業界にさまざまな形で携わる魅力的な人物を1人ずつ取り上げ、本人の口から直接語られたいままでのターニングポイントを何回かに分けて紹介していく。今回からは、ジュニパーネットワークス社長の細井洋一氏を取り上げる。今回、初めて読む方は、ぜひ最初から読み直してほしい。
メディアがIT企業の経営者を取り上げる場合、どうしても新興ベンチャー企業の「若きカリスマ経営者」という偶像を担ぎ上げたがる傾向にある。
特に、2000年前後のITバブル期以降は、こうした傾向が顕著なように思える。ITバブル当時であればライブドア元社長の堀江貴文氏やサイバーエージェント社長の藤田晋氏、その後Web 2.0の時代が訪れると、はてなの近藤淳也氏やmixiの笠原健治氏などが脚光を浴びた。今日であれば、さしずめソーシャルゲーム企業の社長たちだろうか。
もちろん、こうした若き経営者たちの極めて優れた才能や人一倍の努力にケチを付ける気は毛頭ないし、メディアが「現代の成功物語」としてこうした人物を好んで取り上げるのは、ある意味自然なことだろう。ただし、マスコミが取り上げるのは大抵の場合BtoCビジネスのプレイヤーたちであり、BtoBの世界で活躍する人物が大きく取り上げられることはまれだ。
幅広い読者や視聴者を獲得するためには、誰にとっても身近なBtoCビジネスの話題を取り上げるのが得策ではある。しかし、一方のBtoBビジネスの世界でも、BtoCに負けず劣らず日々ダイナミックな動きが展開されている。そもそも、「IT」や「ネット」という言葉が一般化したのはITバブル以降のことだが、そのはるか以前からBtoBの世界では急速な勢いでITの技術や市場が発展しつつあったのだ。
その動きの中心にあったのは、主にアカデミズムの世界とコアなITユーザー、それにIT企業だった。それこそ、まだ「IT」という言葉が無かった時代から、多くの企業エンジニアが心血を注いで新たな技術の開発に取り組み、また多くのビジネスマンがそれをビジネスとして成功させようと市場の開拓に奔走した。現在のように、ITを使った一般消費者向けのサービスが広く普及し、新興IT企業の経営者たちが脚光を浴びるようになったのは、こうした先人たちが築いた技術の蓄積とビジネスインフラがあってこそだと言えよう。
そのような先駆者の1人が、現在ジュニパーネットワークスの代表取締役社長を務める細井洋一氏だ。1954年生まれの細井氏は、1980年代から一貫して外資系企業に身を置き、日本と世界、両方の視点からITの発展史を自ら体験してきた。80年代に国際テレックスの業界で名をはせた後、90年代にはサン・マイクロシステムズでオープン系システムの普及に尽力、その後は複数の外資系IT企業で社長を歴任している。
本連載ではそんな細井氏の半生を、今後何回かに渡って紹介していきたいと思う。後述することになるが、細井氏は通信、ハードウェア、ソフトウェアと、ITのあらゆる分野の発展に直接関わってきた人物である。若い読者にとって、同氏が共に歩んだITの発展史は、とりわけオープン系システムの歴史を知る上で貴重な証言になるのではないだろうか。
もちろん、ビジネス以外の私的な話も詳しく紹介していく予定だ。年配の読者にとっては、自身の経験と重ね合わせることができるような昔懐かしい話もいろいろと出てくることだろう。
次回から、まずは細井氏の幼少時から足跡を順を追って辿ってみたいと思う。
この続きは、1月17日(月)に掲載予定です。お楽しみに!
著者紹介
▼著者名 吉村 哲樹(よしむら てつき)
早稲田大学政治経済学部卒業後、メーカー系システムインテグレーターにてソフトウェア開発に従事。
その後、外資系ソフトウェアベンダでコンサルタント、IT系Webメディアで編集者を務めた後、現在はフリーライターとして活動中。
- 学生の内にオープンソースの世界を踏み台にしろ!
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- 一度足を洗ったものの、再びブラウザの世界へ
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