転職するたびに、会社が買収される:挑戦者たちの履歴書(92)
編集部から:本連載では、IT業界にさまざまな形で携わる魅力的な人物を1人ずつ取り上げ、本人の口から直接語られたいままでのターニングポイントを何回かに分けて紹介していく。前回までは、ジュニパーネットワークス社長の細井洋一氏がSSAグローバルの社長に就任するまでを取り上げた。今回、初めて読む方は、ぜひ最初から読み直してほしい。
2004年にSSAグローバルの社長に就任して2年間、自身が入社する以前に発生したトラブル事案の解決に奔走するはめになった細井氏。2年間かけて全ての事案を解決し、「さて、ようやく本腰を入れてビジネスに取り組めるぞ」と思った矢先、またもや思わぬ出来事が起こる。同社の米国本社が買収されたのである。
「本国が買収となれば、日本法人の社長は当然『お役御免』です。そのとき、ちょうど買収のことを聞きつけたヘッドハンターから、声が掛かったんです。そこで紹介されたのが、米国に本社を持つBIベンダのハイペリオンでした」
こうして細井氏は2006年9月から、ハイペリオンの日本法人社長に就任する。当時、有力BIベンダが大手総合ベンダに次々と買収される中、ハイペリオンは数少なく残っていた、独立系BIソフトウェアベンダのうちの1社だった。「ハイペリオンは、本当に良い会社だったなあ」。そう感慨深げに、同氏は振り返る。
「半年ほど社長がいない期間が続いた後の就任だったので、随分歓迎してもらいました。おかげで、とてもやりやすかったですね」
運も良かった。ちょうど細井氏が社長に就任した時期の四半期の業績が、偶然にも2年ぶりの予算達成という好業績を上げていたのである。こうした幸運も重なり、「新社長が就任して、いよいよ日本のビジネスも本格的に立ち上がるぞ!」という機運が自然と高まっていた。
早速細井氏は社内の業務を精査して、ビジネスモデルを練り直した。特に力を入れたのが、パートナービジネスの体制強化だ。当時のハイペリオン日本法人は、従業員100人にも満たない小さな所帯だったが、こういう規模の会社では得てして直接販売に力を入れるあまり、パートナー企業との付き合いがおろそかになりがちだ。そこで細井氏は、営業担当者に対してパートナー企業を大事にするよう徹底するとともに、自らもトップ営業に走り回った。
「営業マンが僕をお客さんに紹介するにしても、期末に慌てて連れて行かれても、僕としてはどうしようもないし、お客さんにしても“ない袖”は振れない。そこで、『もし本当にその案件を決めたいのであれば、期初に連れて行ってくれ』ということを徹底した。そうすれば、僕としても時間をかけてお客さんとの関係を醸成できるし、案件にもつなげやすくなる。そうしたことを徹底した結果、もともと優秀な人たちがそろっていた会社だから、すぐに結果として表れ始めましたね」
こうして、ハイペリオンの日本でのビジネスが本格的に立ち上がりつつあった矢先の2007年3月1日、またもや思わぬ知らせが舞い込んできた。オラクルによる、ハイペリオン買収の発表だ。
「良い会社というのは、やはり買われてしまうんですよね……」
その後の細井氏は2007年7月から9月までの間、日本オラクルに転籍して業務の引継ぎを行うことになるが、とにかく旧ハイペリオンの社員たちが、オラクル社内で良い部署に配属されるように、ただそのことだけに尽力したという。
買収に伴い移ってきた会社が、またもやあっという間に買収され、さぞ当時の細井氏は意気消沈していたのだろうと思いきや、さにあらず。実は、ハイペリオンの買収を聞きつけたある人物から、既に同年5月の時点で細井氏にオファーがあったのだ。その人物とは、かつてサン・マイクロシステムズの日本法人社長として細井氏を役員に登用した、ジェイ・ピューリー氏だ。同氏は当時、グラフィックチップ「GeForce」で知られるGPUメーカーNVIDIA(エヌビディア)で、ワールドワイドの営業部門を率いる立場にあった。
「NVIDIAの日本法人に社長がいないから来ないか、と言う。当時、NVIDIAの製品はGeForceぐらいしか知らなかったから、『俺はゲーム機の仕事なんかやるつもりはないよ!』と断り続けたんですが、よくよく話を聞いてみると、GPUというのは実はスーパーコンピュータの分野で大きな可能性を秘めていると言うんです。PCやゲーム機だけではなくて、今後はスーパーコンピュータ関連のビジネスを伸ばしていきたいので、その仕事をリードしてもらいたいという話でした。そこで、『それなら、面白そうだ!』と承諾したんです」
かくして細井氏は2007年9月、NVIDIAの日本代表兼米国本社バイスプレジデントに就任する。
この続きは、3月4日(金)に掲載予定です。お楽しみに!
著者紹介
▼著者名 吉村 哲樹(よしむら てつき)
早稲田大学政治経済学部卒業後、メーカー系システムインテグレーターにてソフトウェア開発に従事。
その後、外資系ソフトウェアベンダでコンサルタント、IT系Webメディアで編集者を務めた後、現在はフリーライターとして活動中。
- 学生の内にオープンソースの世界を踏み台にしろ!
- 第二次ブラウザ戦争の先にあるものとは
- Firefox成功の要因は“ブログの口コミ”
- 苦心したコミュニティとの関係構築
- 一度足を洗ったものの、再びブラウザの世界へ
- “1人ネットスケープ”になっても衰えなかった製品愛
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- 結婚式の翌日には米国にとんぼがえり!
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- 肌で感じた日米の“エンジニアへの待遇格差”
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