日本企業には“変わる勇気”が必要:挑戦者たちの履歴書(95)
編集部から:本連載では、IT業界にさまざまな形で携わる魅力的な人物を1人ずつ取り上げ、本人の口から直接語られたいままでのターニングポイントを何回かに分けて紹介していく。前回までは、細井洋一氏がジュニパーネットワークス社長に就任するまでを取り上げた。今回、初めて読む方は、ぜひ最初から読み直してほしい。
昨今、各ITベンダは、来るべきクラウドコンピューティング時代を見据えた新たなソリューションを矢継ぎ早に繰り出している。しかし、クラウドコンピューティングを支える最も大事なインフラの1つは、ネットワークだ。高速で、かつ信頼性の高いネットワークインフラなくしては、クラウドコンピューティングは実現できない。
そうした次世代のネットワークインフラを支えるであろうベンダの1社、ジュニパーネットワークスの日本法人社長を務める細井氏は、クラウドコンピューティングについてどのような展望を持っているのだろうか?
「テクノロジとしてのクラウドコンピューティングの考え方は昔からあるものですが、ビジネスモデルはこれまでとはがらっと大きく変わることになります。従って、クラウドの世界ではこれまで勝者だった企業が敗者に、あるいは逆に敗者だった企業が勝者に転じることもあり得ると思います」
つまり、これまでのプロプライエタリ製品のライセンス販売モデルから、クラウドサービスの課金モデルへの転換だ。Googleやsalesforce.comといった、当初からクラウドを意識したビジネスモデルを武器にする企業が飛躍を遂げる一方、IBMのような昔ながらのITベンダも「Smarter Planet」のような新たな戦略を打ち出し、いち早くクラウド時代に対応できるスキームへの脱皮を図ろうとしている。
ではそれに対して、日本企業はどうだろうか? 細井氏は、「変化のスピードが遅い」と指摘する。
「一部の国内ベンダは、いち早くクラウドサービスで果敢に海外へ打って出ていますが、国内の大手メーカーはまだ旧来のスキームを守ることに腐心しているように見えます。日本のメーカーは過去の成功体験があるので、どうしてもそれを守りたくなってしまう。一方、中国やアジアの新興国は守るものも失うものもないので、果敢に新しいことにチャレンジしてきます。これは何も、クラウドやITに限った話ではありません」
ではこれに対抗し、日本企業がクラウド時代を勝ち残っていくためには、何が必要になってくるのだろうか? 細井氏は、「変わる勇気」を持つことが大事だと言う。
「そのためには、大きな会社は一度分割するか、あるいは思い切って解体した方が良いのかもしれない。かつてサン・マイクロシステムズが、会社を4社ほどに分社化してそれぞれを競わせたように」
そして、もう1つのキーワードが「グローバル化」だ。クラウドの世界では、アプリケーションはネットワークがつながる場所であれば、基本的にはどこに置いても構わない。地球の裏側にあるデータセンターにあっても良いし、将来的には月面に作ったデータセンターと無線ネットワークでつないでサービスを利用するような形だって、あり得ないとは言い切れない。そうなってくると、もはや国境は意味を成さなくなる。クラウドサービスを提供する企業自身も、地球上のどこに本社を置いても良いわけだ。
確かに、セキュリティや安全保障の観点から見ると、海外のデータセンターにデータを預けることにはリスクが伴うかもしれない。しかし、世界中にネットワークがくまなく張り巡らされ、情報が瞬時に駆け巡るこの時代、グローバル化の流れはもはや止めようがないと細井氏は指摘する。
「こうして、ビジネスやサービスが簡単に国境を越えていく時代には、国際的なコミュニケーション能力が重要になってきます。海外のユーザーは、一体どのようなサービスを欲しているのか。それを知るためには、現地の言葉で、現地の人々と直接コミュニケーションを取る以外にありません。さらには、そうしたコミュニケーションの中から、逆説的にわれわれの日本人としてのアイデンティティも浮かび上がってくるのではないでしょうか」
この続きは、3月11日(金)に掲載予定です。お楽しみに!
著者紹介
▼著者名 吉村 哲樹(よしむら てつき)
早稲田大学政治経済学部卒業後、メーカー系システムインテグレーターにてソフトウェア開発に従事。
その後、外資系ソフトウェアベンダでコンサルタント、IT系Webメディアで編集者を務めた後、現在はフリーライターとして活動中。
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