これからの若者は絶対海外へ出るべき!:挑戦者たちの履歴書(96)
編集部から:本連載では、IT業界にさまざまな形で携わる魅力的な人物を1人ずつ取り上げ、本人の口から直接語られたいままでのターニングポイントを何回かに分けて紹介していく。前回までは、細井洋一氏がジュニパーネットワークス社長に就任するまでを取り上げた。今回、初めて読む方は、ぜひ最初から読み直してほしい。
米国の大学を卒業した後、25歳でコロンビア人の奥さんと国際結婚し、さらに現在に至るまでずっと外資系企業でキャリアを積んできた細井氏。こうして長年、公私にわたって国際感覚を磨いてきた同氏の目には、現在の日本は「鎖国状態」のように映るという。
「奥さんは日本がとても気に入っていて、一度帰化しようとしたんですけど、手続きがとてつもなく大変で、結局諦めました。彼女以外にも、『日本は豊かで安全で、とても気に入っている』という外国人を多く知っていますが、彼ら一般の外国人はそう簡単には日本に帰化できないようです。これでは、いつまでたっても日本の人口は増えません」
海外から日本へ入ってくる入り口だけではない。日本から海外へ出て行く出口も、日本人自らが狭めてしまっているのではないかと細井氏は言う。
「日本は落ち目だと言われつつも、やはり平和で安全な国ですから、今の日本の若い人たちには、わざわざ海外へ出て行く動機や意欲がないように見えます。しかし、それでもあえて、若い人たちには『とにかく一度、海外へ出てみろ!』と言いたい。実際に海外へ出てみないと分からないことが、山ほどあります。たとえ半年間の短期留学でも良いし、語学留学でも良いから、とにかくまずは行ってみるべきです」
今後、日本がグローバル経済の渦中に巻き込まれていくのは必至だ。いや、既に巻き込まれており、もう後戻りできない状態まで来ている。従って、これからの時代を生きる若者たちにとって、国際感覚を身に付けることは、国家や会社うんぬん以前に、個人の生き方を大きく左右する重要なファクターとなるはずだ。そのためのスタート地点は、まずは語学力だ。
「外国人と話すときに、通訳を介していては会話にならず、まともなコミュニケーションなど取れません。最低でも英語で、外国人と直接コミュニケーションを取れるようになることは必須なんです。僕は若いころ、お袋に半ば無理やり海外に留学させられたんですが、今思うと本当に感謝しています。その背景には、当時貿易会社を共同経営していたお袋が、英語が片言しかできなかったがために、バックヤード業務しかできなかったという忸怩(じくじ)たる思いがあったんだろうと思います」
このときの母親の思いを引き継ぎ、細井氏も自分の子どもには、国際感覚を鍛えることができる教育環境をできる限り提供してきたという。細井氏と奥さんの間には一男一女の子どもがいるが、どちらも日本国内のインターナショナルスクールに通わせ、卒業後は米国の大学へ留学に出した。
「僕の息子と娘は2人とも、日本語と英語、それにスペイン語の3カ国語を操れます。もし日本で何かあったとしても、海外のどこでも十分やっていけるよう育ててきたつもりです。留学にはお金が掛かることも多いですけど、やはり子どもがしっかり国際感覚を身に付けられるよう、海外に出て行くことを後押しすることが、親に課せられた教育の責任だと思います。また、例えお金がなくても若い人たちが海外へ出て行けるよう、奨学金制度や、民間の融資制度なども整備される必要があると思いますね」
世間では、「英語の教育方針や偏差値教育に問題があるので、日本人は英語力が低いのだ」と短絡的に断じる論調が強いようだが、中には若いうちに積極的に海外に出て、立派な語学力とコミュニケーション術を身に付けている日本人も多くいる。商社や外資系企業に行けば、それこそ下手なアメリカ人より達者な英語を操る日本人が、ごろごろいるのだ。
「民間企業で国際的に活躍している方々の語学力や国際感覚は、本当に素晴らしいものがあります。日本人は一概に外国語ができないというわけでは、決してないんです。だから若い人たちには、『とにかく、一度でいいから海外に出てみろ』と言いたい。そしてそういう若者たちの親には、これからのグローバル時代を生きる世代を育てるために、ぜひ子どもが海外に出て行くことをバックアップして欲しいと願うのです」
24回にわたってお届けした細井氏の履歴書は今回で終了です。次回からは、さくらインターネット社長の田中邦裕氏の履歴書を掲載する予定です。お楽しみに!
著者紹介
▼著者名 吉村 哲樹(よしむら てつき)
早稲田大学政治経済学部卒業後、メーカー系システムインテグレーターにてソフトウェア開発に従事。
その後、外資系ソフトウェアベンダでコンサルタント、IT系Webメディアで編集者を務めた後、現在はフリーライターとして活動中。
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