日本のインターネット黎明期を築いた未成年:挑戦者たちの履歴書(97)
編集部から:本連載では、IT業界にさまざまな形で携わる魅力的な人物を1人ずつ取り上げ、本人の口から直接語られたいままでのターニングポイントを何回かに分けて紹介していく。今回からは、さくらインターネット社長の田中邦裕氏を取り上げる。初めて読む方は、ぜひ最初から読み直してほしい。
今や、生活に欠かせない社会インフラとして広く認知されるようになったインターネット。若い方々にとっては、「インターネット」というよりは「ネット」という呼び名の方が通りが良いかもしれない。日々、ネットで友人とコミュニケーションし、ネットでニュースを読み、ネットで買い物をする。私たちは今日、「ネットで〜する」というフレーズを当たり前のように使いながら生活を営んでいるが、これはインターネットの黎明期を知る者から見ると隔世の感がある。
1990年代前半まではインターネットと言えば、一部のコアなUNIXユーザーのためのものだった。それからおよそ20年……。現在のように、PCや携帯端末から誰でも気軽にインターネットが利用できるようになるまでには、世界中の幾多の人々の献身があった。大学人、企業人、ボランティアの人々……。1人の大天才による発明ではなく、多くの人々の集合知に支えられて発展し、そして運営されているのがインターネットなのである。
そんな一面が今回の東日本大震災の際にも表れている。歴史的被害に見舞われた被災地を助けようと、日本のみならず世界各国からボランティアや支援が寄せられているが、インターネットにおいても多くの支援が寄せられた。例えば、震災直後には、被災地域の情報を得ようと当該自治体などのWebサイトへ局所的にアクセスが集中し、サイトが閲覧できない事態になった。そこで、さくらインターネットや日本マイクロソフトなど、多くの企業がサイトへつなぎやすくする無償援助を実施。当該サイトの負荷を分散し、アクセス再開を実現している。
このように、現在、日本のインターネット環境が整備されているのも、産官学、さまざまな人々の献身があったからこそだ。今回から取り上げる、さくらインターネット社長の田中邦裕氏も、そうした人々の内の1人に数えられる。田中氏は1996年、わずか18歳のときにさくらインターネットを設立して以来、日本のインターネットの発展史とともに歩んできた。
さくらインターネットは、ホスティングを中心としたデータセンターサービスを提供する企業である。個人向けホスティングサービスを提供する企業としては、最も名が知れた存在の1つであり、実際に利用している読者の方もいることだろう。また、法人向けサービスでも長い実績があり、特にはてなをはじめとした新興ネット企業によるサービス利用が多いことでも知られている。
これはあくまでも筆者の個人的な印象でしかないが、さくらインターネットには独特のブランドイメージがあるように感じる。同社と同じように低価格と技術力をウリにするホスティングサービス事業者は他にも多いが、なぜか最も親しみやすさを感じるのがさくらインターネットなのだ。これは、同社の長い歴史と実績がそう思わせるのか、あるいは同社のマーケティング戦略が優れているのか、それは分からない。ただ、そうしたイメージを抱く理由の1つに、社長である田中氏のキャラクターがあると思っている。
ベンチャー企業の経営者というと、これもまた筆者の勝手な思い込みなのだが、どうしても「押しが強くてギラギラした人物」という偏見を抱いてしまう。しかし、かつて何度か取材で話を伺ったときの田中氏の印象は、失礼を承知であえて正直に記せば、「どこにでもいそうな、温和できまじめなプログラマ」というものだった。そのたびに、「あのさくらインターネットを率いる、気鋭の経営者」というイメージとのギャップに、軽く混乱させられたことを覚えている。
しかし今回、本連載のために田中氏の半生をじっくり伺い、そうした印象が実に浅はかなものだったことを思い知らされた。確かに同氏は筋金入りの技術者であり、現在でも同社サービス向けのプログラムを自ら組み上げてしまうほどだ。しかし同時に、タフでシビアな経営者としての顔もしっかり持ち合わせている。
競争激しいホスティングサービス業界を勝ち残ってきたさくらインターネットも、その発展の過程では幾多の浮き沈みを経てきた。そのたびに田中氏は、シビアな経営眼とタフネスさで危機を乗り切ってきたに違いない。
次回から、そんな田中氏の半生を幼少期から順を追って紹介していきたい。
この続きは、4月4日(月)に掲載予定です。お楽しみに!
著者紹介
▼著者名 吉村 哲樹(よしむら てつき)
早稲田大学政治経済学部卒業後、メーカー系システムインテグレーターにてソフトウェア開発に従事。
その後、外資系ソフトウェアベンダでコンサルタント、IT系Webメディアで編集者を務めた後、現在はフリーライターとして活動中。
- 学生の内にオープンソースの世界を踏み台にしろ!
- 第二次ブラウザ戦争の先にあるものとは
- Firefox成功の要因は“ブログの口コミ”
- 苦心したコミュニティとの関係構築
- 一度足を洗ったものの、再びブラウザの世界へ
- “1人ネットスケープ”になっても衰えなかった製品愛
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