弱冠27歳で東証マザーズ上場を実現:挑戦者たちの履歴書(110)
編集部から:本連載では、IT業界にさまざまな形で携わる魅力的な人物を1人ずつ取り上げ、本人の口から直接語られたいままでのターニングポイントを何回かに分けて紹介していく。前回までは、田中氏がさくらインターネットを創業するまでを取り上げた。初めて読む方は、ぜひ最初から読み直してほしい。
2002年のITバブル崩壊で、それまでの右肩上がりの急成長から、一転して経営危機に瀕したさくらインターネット。運悪くちょうどそのとき、同社は2億円を投じて東京・池袋にデータセンターを新設したばかりだった。そして、この2億円を回収する目処が、まったく立たなくなってしまったのだ。
社員への給料支払いもままならないこの危機的状況下で、必死に金策に奔走した田中氏。そんな同氏に一筋の光が差したのは、新データセンターへの投資額2億円の内、半分の1億円をリースで賄えることが決まったときだった。
「出資してもらっていたベンチャーキャピタルにリース会社を探してもらって、何とか発電機やUPSなどの機器をリースで調達できるようになったんです」
さらにもう1つ、良い兆しが見えていた。ITバブルの崩壊で急にユーザー数が伸びなくなったホスティングサービスをてこ入れすべく、専用サーバのサービス内容を強化したところ、これが一気に売れ始めたのだ。
「価格を月額9800円に統一して、回線も10Mbpsと100Mbpsから選べるようにメニューを改定しました。うちは回線サービスに強みがあったので、それをより強く訴求できるよう、サービス内容をリニューアルしたんです」
この策が、見事に当たった。折りしも、2002年から2003年にかけては、日本においてブロードバンドが普及し始めた時期と一致していた。これと、回線に強みを持つさくらインターネットの専用サーバサービスが、見事にマッチしたのだ。
こうして、設備投資のリース化と専用サーバサービスのヒットにより、辛くもさくらインターネットはITバブル崩壊による経営危機を乗り切ることに成功した。とはいえ、一気にまた右肩上がりの成長軌道に復帰したわけではない。2003年、2004年と、同社のユーザー数は解約者が新規契約者を上回る純減に転じていた。ビジネス規模の拡大を何よりも重視する田中氏にとって、これは致命的だった。
「専用サーバは好調だったものの、本来の主力事業であるレンタルサーバが売れなくなっていました。また、ちょうどこのころ、ロリポップが低価格と使いやすさをキャッチフレーズに台頭しつつあったことにも脅威を感じていました」
そこで田中氏は、レンタルサーバのサービス強化に乗り出す。
それまでさくらインターネットのサービスといえば、料金が安い代わりにユーザーフレンドリーな機能は一切用意されておらず、初心者には敷居が高いものだった。そこで、田中氏は自らユーザー機能の開発を行い、「初心者お断り」から「初心者でも安心して使える」サービスへと、コンセプトの転換を図ったのだ。それと同時に価格設定も、最も安いプランで月額1000円から125円へと、一気に引き下げた。明らかにロリポップを意識した、実に大胆な価格変更だ。
この新戦略が、見事にハマった。サービスを開始した初めの月だけで、5000件もの新規契約を獲得したのだ。こうして、さくらインターネットの経営は一気に回復基調に戻った。
再び成長軌道に乗ったさくらインターネットは2004年、大阪と新宿でそれぞれデータセンターを新設。翌2005年にはついに、念願だった東証マザーズへの株式上場を果たす。
「上場の審査のために何度も東証に足を運びましたが、一体何を審査されているのかも分からず、手探り状態でしたね。社員も、上場が果たせるなんて当時は誰も思ってもいませんでしたから、実際に上場が決まったときには『まさか!?』と皆で沸いたことを覚えています」
上場日の10月12日、東証の立会開始の鐘を鳴らしたことや、野村證券の副社長と会食してトレーディングルームの中を見せてもらったこと、上場記念の盾を大阪に持ち帰ったときの社員の喜びようなど、今でも田中氏ははっきりと覚えているという。
弱冠20歳で学校の後輩と2人で立ち上げたさくらインターネットは、このとき社員100人を抱える上場企業へと成長を遂げていた。幾多の困難を乗り越えてビジネスを成長させてきた田中氏にとって、上場の感慨はひとしおだったに違いない。
この続きは、5月13日(金)に掲載予定です。お楽しみに!
著者紹介
▼著者名 吉村 哲樹(よしむら てつき)
早稲田大学政治経済学部卒業後、メーカー系システムインテグレーターにてソフトウェア開発に従事。
その後、外資系ソフトウェアベンダでコンサルタント、IT系Webメディアで編集者を務めた後、現在はフリーライターとして活動中。
- 学生の内にオープンソースの世界を踏み台にしろ!
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- 一度足を洗ったものの、再びブラウザの世界へ
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