データセンターがダウンした年末:挑戦者たちの履歴書(115)
編集部から:本連載では、IT業界にさまざまな形で携わる魅力的な人物を1人ずつ取り上げ、本人の口から直接語られたいままでのターニングポイントを何回かに分けて紹介していく。前回までは、田中氏がさくらインターネットを上場させるまでを取り上げた。初めて読む方は、ぜひ最初から読み直してほしい。
経営危機を乗り切ったさくらインターネットは2008年、本業のデータセンター事業に専念すべく、ホスティングのサービス強化やメニューの拡充などを進めていった。当時、さくらインターネットが置かれていた状況について、田中氏は次のように説明する。
「当時はやっと経営を立て直したばかりで、お金もありませんでしたから、2008年は“本格的な復活のための前段階の時期”と位置付けて、まずは主に既存サービスのブラッシュアップを行いました。具体的には、ディスク容量の増加や専用サーバサービスのラインアップ拡充などですね」
会社としての経営は一時期揺れてはいたものの、その間もホスティングサービスのユーザー数は順調に増えており、経営状態も2009年3月期の単体決算では早くも黒字化を達成するまで、急速に回復していた。
こうして、会社がすっかり回復基調に乗った2008年末。「さあ、来年はいよいよ本格的な復活の年にするぞ!」と思いを新たにしていた矢先、事件は起きた。
2008年12月19日、同社の西新宿データセンターで大規模な電源トラブルが発生したのだ。このデータセンターでは複数の著名サイトが稼働しており、このトラブルによってこれらのサイトのサービスが一斉にダウンしてしまったのだ。
当然のことながら、田中氏は対応に追われた。
「早速対策本部を設置して、対応に当たりました。お客さまのもとへは現場の社員と一緒に謝罪と説明に伺いました。その前年の年末年始も、社長に就任して間もなく経営立て直しに奔走していましたから、2年連続で大変な正月になってしまいました……」
ちなみに、この電源トラブルの直接の原因は、変圧器の製造工程にミスがあり、過熱で故障してしまったためだという。故障とはいっても、煙を発し、119番通報までしたというから、しゃれにならないレベルだ。当然、復旧にも困難を極めるかと思われたが、障害発生から7時間後には電源の復旧までこぎ着けた。
「工事業者さんがすぐに資材を集めて、電気が流れたままの状態で別系統への電源切り替えを行ってくれました。実に素晴らしい対応で、職人さんの根性を見せてもらいましたね。彼らの頑張りのおかげで、迅速な電源復旧ができたと思っています」
ちなみに、故障が発生した変圧器は極めてスタンダードなモデルで、他社のデータセンターでも多く採用されているものだと言う。それがなぜ、さくらインターネットに設置されたものだけがトラブルに見舞われたのだろうか?
「これもいろいろと考えたのですが……。変圧器の状態は月に1回のペースで必ず点検しますから、もし過熱していればそのときに見付かるはずなんです。ただ、うちの西新宿データセンターのお客さんは、急成長しているネット企業さんが多いので、恐らく月1回の点検では追い付けないほど、電気の消費量が急速に伸びていたんだと思います」
ちなみにこのトラブルの影響は、同じ変圧器を採用するほかのデータセンター事業者にも波及した。本来なら、欠陥が発覚したこの変圧器は、すぐにでも交換しなくてはいけない。しかし、変圧器を交換するためには一度電源を落とさなくてはいけないため、そう簡単に行えるものではないからだ。
こうして田中氏は2008年、2009年と2年連続で、シビアな対応に奔走する正月を送る羽目になってしまった。
「あのときは、『毎年、年末になると何か起こるな』と皆で話していたことを覚えています。今年こそは久々に、ゆっくり正月を過ごしたいですね」
この続きは、5月25日(水)に掲載予定です。お楽しみに!
著者紹介
▼著者名 吉村 哲樹(よしむら てつき)
早稲田大学政治経済学部卒業後、メーカー系システムインテグレーターにてソフトウェア開発に従事。
その後、外資系ソフトウェアベンダでコンサルタント、IT系Webメディアで編集者を務めた後、現在はフリーライターとして活動中。
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