大口解約でもびくともしない経営体質へ:挑戦者たちの履歴書(116)
編集部から:本連載では、IT業界にさまざまな形で携わる魅力的な人物を1人ずつ取り上げ、本人の口から直接語られたいままでのターニングポイントを何回かに分けて紹介していく。前回までは、田中氏がさくらインターネットの社長に就任するまでを取り上げた。初めて読む方は、ぜひ最初から読み直してほしい。
2008年、さくらインターネットの経営危機を完全に乗り越えた田中氏は、同社の次なる飛躍に向けて、2009年から2011年までの3年間を「ホップ・ステップ・ジャンプ」の期間と位置付ける。
「2009年を“ホップ”、2010年を“ステップ”、2011年を“ジャンプ”の年にすると社員には言い続けています。2009年はホップの年として、まず手始めにさくらインターネットのビジネスの原点であるホスティングサービスの強化に取り組みました」
1997年、高専の後輩とたった2人で始めたさくらインターネットは、もともとはホスティング専用のサービス事業者だった。その後、ビジネスの規模が拡大するに従い、“新設したデータセンターのスペースを埋めて採算をとるために、徐々にハウジングにも進出していった”という経緯がある。そして2006年にはついに、ハウジング専用のデータセンターを保有するまでに至る。しかし、ハイスペックな設備をそろえたこのハウジング専用データセンターへの設備投資が、重荷になり始めていた。
そこで田中氏は、2007年12月に社長に就任して以降、ハウジングの拡大路線から一転して、ホスティングへの回帰を進める。2009年2月にはその一環として、同社としては10年以上振りとなる「ホスティング専用のデータセンター」を大阪に新設する。
「当時はちょうど、クラウドコンピューティングが提唱されるようになってきたころでしたが、さくらインターネットが提供してきたホスティングも、『資産を所有せずにサービスとして利用する』という意味ではクラウド的なサービスだと思っていました。こうした背景もあり、『これからのデータセンターは、やはりホスティングだろう』とずっと思っていたのです」
ちなみに現在では、ハウジングよりもホスティングの方が売り上げ金額が多いのだという。通常、小口ユーザー向けのホスティングよりも、大口ユーザー向けのハウジングの方が顧客単価が圧倒的に高いため、トータルの売り上げ金額でもハウジングの方が高くなるのが一般的だ。そう考えると、さくらインターネットが“いかに多くのホスティングユーザーを抱えているのか”が、うかがえる。
「多くのデータセンター事業者の経営は、月額1000万円以上の契約を結んでいる顧客からの売り上げに依存しています。でもさくらインターネットの場合は、月額10万円以下のお客さまからの売り上げ比率が一番大きいんです」
このように、小口のホスティングユーザーを多く抱えることは、リスクマネジメントの面でも有利だと田中氏は言う。2009年と言えば、リーマンショックに端を発する世界不況で、多くの企業がIT投資を一斉に引き上げた時期だ。当然、データセンター業界も大きな打撃を受けたが、小口のホスティング契約をメインに据えるさくらインターネットは、びくともしなかった。
「大口解約があっても大丈夫なように、ポートフォリオを構成しています。実際のところは、ここ3年間で大口解約は3件ぐらいしかありませんし、リーマンショックでもびくともしませんでしたね」
自信たっぷりに、田中氏は述べる。自身が社長に就任してからの3年間は、このような「ビジネスのあるべき姿」をストイックに追い求めてきたのだと言うのだ。
「多くの会社は過去のしがらみや経験則に縛られて、なかなかあるべき姿を追求できません。でもその点、うちはこの3年間で、『お客さまにとっての価値が自社の利益につながる』という極めて真っ当な考え方を、社員皆で共有し、追求できる会社にできたと思っています」
しかし、こうしたストイックな商売のやり方は、ときには効率が悪いように見えることもある。事実、今でも「さくらインターネットは、こうすればもっと儲かるはずだ!」と提案してくる人が後を絶たないという。
「ある方から、『今500円で提供しているサービスを600円に値上げすれば、ユーザー数は2、3割減るけど、トータルの利益は増えますよ!』と提案を受けたことがあります。確かに一時的には利益が増えるでしょうけど、中長期的に見れば新規のユーザーが減っていくに決まってます。そういう方は、さくらインターネットのユーザー数が純増していて、かつ顧客単価も上がっている理由を、永遠に理解できないでしょうね」
この続きは、5月27日(金)に掲載予定です。お楽しみに!
著者紹介
▼著者名 吉村 哲樹(よしむら てつき)
早稲田大学政治経済学部卒業後、メーカー系システムインテグレーターにてソフトウェア開発に従事。
その後、外資系ソフトウェアベンダでコンサルタント、IT系Webメディアで編集者を務めた後、現在はフリーライターとして活動中。
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