絶対的な競争力の源泉は“ライセンスコスト”:挑戦者たちの履歴書(117)
編集部から:本連載では、IT業界にさまざまな形で携わる魅力的な人物を1人ずつ取り上げ、本人の口から直接語られたいままでのターニングポイントを何回かに分けて紹介していく。前回までは、田中氏がさくらインターネットの社長に就任するまでを取り上げた。初めて読む方は、ぜひ最初から読み直してほしい。
前回紹介したように、本来の主力事業であったホスティングサービスをより強化することで、さらなるビジネスの拡大を目指しているさくらインターネット。その戦略の一環として、2009年2月にはホスティングサービスに特化したデータセンターを大阪に新設している。
社長として同社を率いる田中氏は2010年、さらに次なる一手を打つ。北海道・石狩市に、大規模データセンターを建設する計画をぶち上げたのだ。このデータセンターも、基本的にはホスティングでの用途を前提としたものだ。
実は同氏は、2007年には既にこのような、郊外型の大規模データセンターの構想を持っていたのだという。
「2007年当時のさくらインターネットはまだ、都市型データセンターで企業ユーザー向けのハウジングのニーズを吸い上げることを重要視していました。しかし、僕はそのころからもう、郊外型データセンターでホスティングを安く広く提供してきたいと考えていました。実際、岐阜県の某所にデータセンターの設置を打診したりもしていたんです。でも結局そのときは、年末に社長に就任して経営の立て直しに当たることになってしまったので、その話は立ち消えになってしまったんです」
そんな同氏が、再び郊外型データセンターの具体的なプランを立ち上げるきっかけになったのが、北海道庁からのオファーだった。2009年、北海道庁の大阪事務所の担当者が田中氏の元を訪れた。
「『データセンターの建設候補地として、北海道はいかがでしょうか?』というオファーだったんですが、正直に言うと当初は懐疑的だったんです。地理的に遠いし、十分なキャパシティの回線を用意できるか不安でした」
しかし2009年12月、北海道庁の招きで道内の各自治体を視察に訪れた際、「石狩市ならば十分にいけるのではないか」という手応えをつかんだ、と言う。
「実際に現地に行ってみたら、土地は広いし、札幌からも近いし、回線も光ファイバーを引けば何とかなるので、『これならいけるだろう』と思いました」
また、自治体の熱心な誘致活動にも動かされたという。特に市長が自らデータセンターについて熱心に勉強し、誘致活動の先頭に立って旗を振っていたことが印象深かったという。
「なので、データセンターが完成した暁には、やっぱり何らかの形で地元に寄与しなくてはいけないと考えています。税収の面ではもちろんですが、雇用の提供やユーザー企業の誘致という点でも、何らかの貢献ができるのではないかと思っています」
5ヘクタールの広大な敷地に、4000ラックを収容するこの巨大データセンター。現時点では、2011年秋の竣工を予定しているという。
さらに同社は現在、こうした設備面だけでなく、サービス内容の面においてもホスティングの強化を進めている。2010年9月、VPS(Virtual Private Server)のサービスを提供開始したのも、その表れの1つだ。
このサービスは、サーバ仮想化技術を用いて1台の物理サーバ上に複数の仮想サーバを構築し、それをユーザーに提供するというものだ。ユーザーから見れば、あたかも専用サーバのように自分専用のサーバ環境として扱うことができ、提供するプロバイダー側としてもサーバリソースを効率的に稼働できるため、より安価にサービスを提供できるメリットがある。
VPSサービスは、比較的早くからさまざまなプロバイダー事業者から提供されており、さくらインターネットの参入はむしろは遅きに失した感も否めない。しかし、田中氏は同社のVPSサービスの競争力に絶対の自信を持っている。
「仮想化ソフトウェアはオープンソースのKVMを自社で独自にチューニングしたものを使い、プロビジョニングソフトウェアも自社で開発しています。他社のVPSサービスの料金には通常、ソフトウェア製品のライセンスコストが含まれますが、うちの場合はそれが一切ありません。」
事実、同社のVPSサービスはユーザーに好評を博しており、サービス提供開始から3カ月後には、既に年間目標のユーザー数をクリアする勢いで伸びているという。
さて、今回説明したさくらインターネットの近年の動き「大規模データセンターでのホスティング」と「サーバ仮想化導入によるVPSサービス」。この2つは、同社の次なる大きな戦略の礎となるものだ。勘の良い読者なら、もうお気付きだろう。そう、その礎とは“クラウドコンピューティング”だ。
この続きは、5月30日(月)に掲載予定です。お楽しみに!
著者紹介
▼著者名 吉村 哲樹(よしむら てつき)
早稲田大学政治経済学部卒業後、メーカー系システムインテグレーターにてソフトウェア開発に従事。
その後、外資系ソフトウェアベンダでコンサルタント、IT系Webメディアで編集者を務めた後、現在はフリーライターとして活動中。
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