一番やりたいのは“無限にスケールできるPaaS”:挑戦者たちの履歴書(118)
編集部から:本連載では、IT業界にさまざまな形で携わる魅力的な人物を1人ずつ取り上げ、本人の口から直接語られたいままでのターニングポイントを何回かに分けて紹介していく。前回までは、田中氏がさくらインターネットの社長に就任するまでを取り上げた。初めて読む方は、ぜひ最初から読み直してほしい。
田中氏が1997年にPCサーバ2台のホスティングで始めたさくらインターネットは、14年たった今、国内有数のデータセンター事業者へと大きく成長を遂げた。その過程においては幾多の浮き沈みや波乱があったことは、本連載でこれまで紹介してきた通りだが、田中氏は決して歩みを止めない。早くも、次世代にふさわしいデータセンタービジネスのプランを練り、順次実行に移している。その戦略の核を成すのが、クラウドコンピューティングへの対応だ。
「もともとさくらインターネットがやっていたホスティングビジネスは、クラウドのようなものでしたからね」
田中氏はこう述べる。特に直近3年間、もともとの本業であるホスティングサービスへ同社のビジネスの主力をシフトしていく中では、将来的なクラウドコンピューティングへの対応は常に意識していたという。事実、前回紹介した石狩データセンターにも、「クラウドコンピューティングに特化したデータセンター」という謳い文句が掲げられている。2010年9月から提供開始したVPSサービスも、クラウドへの布石となるものだと言えよう。
現在同社では、クラウドサービスの開発が急ピッチで進められていると言うが、2010年11月には早くも「さくらのクラウド」という名前でその一端が明かされた。これは一言で言えば、Amazon EC2などと同じような「IaaS」(Infrastructure as a Service)型のクラウドサービスだ。ユーザーはCPUやメモリ、ディスクといった仮想リソースを購入して、一定期間利用することができる。
同社ではまず、このIaaSのサービスからクラウドコンピューティング市場に参入する予定だ。さらに田中氏は、「SaaS(Software as a Service)やPaaS(Platform as a Service)もやりたいんです」と明かす。
「かつて上場直後に、システム開発会社を買収して、アプリケーションをSaaSのような形で提供するビジネスにトライしたことがありましたが、見事に失敗しました。なぜかと言うと、そのときは『新しい顧客』に『新しいサービス』を提供しようとしたからです」
つまり、こういうことだ。新しいビジネスを始めるに当たっては、「既存の顧客」に「新しいサービス」を提供するか、もしくは「新しいお客さん」に「既存のサービス」を提供するか、のどちらかでないと、なかなかうまくいかない。「未知の顧客」に「未知のサービス」を提供するのは、あまりにハードルが高すぎるというわけだ。
さらに突っ込んで聞くと、田中氏自身にとって一番思い入れが強いのは、SaaSやIaaSよりも、むしろPaaSのようだ。
「さくらインターネットらしさが一番出せるのは、PaaSではないかと考えています。例えば、Herokuみたいなサービス。レンタルサーバと同じ感覚で使えて、料金を払えばほぼ無限にスケールできるような、そんなサービスをやりたいと思っているんです」
Web開発者に対して、極めてシンプルな機能を提供するWebホスティングサービス。PHPやRubyのファイルをアップロードしたら、すぐに画面が出てくる。アクセス数が少ないうちは無償で利用できて、アクセス数が増えてきたら、それこそ月間何百万、何千万アクセスまでスケールできるプラットフォーム……。
「そういうPaaSを、ぜひやりたいと思ってるんです! 最近のWebホスティングって、無用な機能が多すぎると思いませんか? 例えば、ソーシャルアプリの開発者にとっては、Webメールやスケジューラの機能なんてまったく必要なくて、とにかくパフォーマンスの良いWebサーバとデータベースがあれば良いんです。でもそういうサービスって現状はなかなかなくて、かといって専用サーバやVPSを借りるとなると、Webサーバを自分で設定しなくてはいけなかったり……」
さすが、現在でも自らサーバの組み立てやプログラムのコーディングを行う生粋の開発者だけあって、田中氏の開発者向けPaaSにかける想いは熱い。世のWeb開発者にとって、さくらインターネットが描くPaaSは、大きな期待を抱かせてくれそうだ。
この続きは、6月1日(水)に掲載予定です。お楽しみに!
著者紹介
▼著者名 吉村 哲樹(よしむら てつき)
早稲田大学政治経済学部卒業後、メーカー系システムインテグレーターにてソフトウェア開発に従事。
その後、外資系ソフトウェアベンダでコンサルタント、IT系Webメディアで編集者を務めた後、現在はフリーライターとして活動中。
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