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「KURO」が示すディスプレイのトレンド麻倉怜士のデジタル閻魔帳(2/3 ページ)

» 2007年09月28日 08時33分 公開
[渡邊宏,ITmedia]

――コンテンツの進化が、受け手であるディスプレイの進化をも促したわけですね。

麻倉氏: ハイビジョンの時代になり、SDでは表せなかった表現ができるようになりました。その具体的な例がダイナミックレンジであり精細感の向上ですが、コントラストや階調もより深く表現できるようになりました。トータルとしての映像因子が増えているのです。コンテンツ側も、そんなハイビジョンの能力を生かそうと、さまざまな取り組みをしていますし、KUROはそれを引き出せるだけの力があるのです。

photo “KURO”「PDP-5010HD」(右)と従来モデル「PDP-507HX」(左)の比較

 もう1つの例として、今井美樹さんのライブ映像を挙げましょう。2006年11月にプリンスホテルで行われたライブと2004年12月に武道館で行われたライブ、いずれもBSフジでハイビジョンで放送されたものですが、「画調」がまったく異なるのです。

 前者は黒を大面積で沈めた後に白を加えたビデオ的な仕上がりで、白を基調としたハイトーンな色調であり、黒はグロッシーです。後者はレンジ感が狭いかわりに階調感が細かく、黒はマット調な落ち着いた映像になっています。どちらも24pですが、片やビデオ的であり、片や映画的とも言える階調感重視で、同じ曲を歌っていても印象はまったくといっていいほど異なっています。

 どうしてそうした違いが存在するのか。それは映像にディレクターズ・インテンション――監督の意図が反映されているからです。そうであるならば映像の意図やそれに起因する違いをどれだけ再現できるかが、これからのディスプレイに課せられた使命ということもよく分かりますね。

 SD映像はリソースの表現力が乏しかったので何をしているか伝えることだけが重視されてきました。足りないところは見る側のイマジネーションで補っていたわけです。ところがリッチ・リソースのハイビジョン映像では、制作側の意思や想いを映像に織り込むことができるのです。

 改めて振り返ると、KUROの登場によってハイビジョン時代のディスプレイには表現力が大切であることをもう一度感じさせられました。ディスプレイには「表示」「表現」「創造」という3つの進化要素があります。情報を正確に伝える「表示」は大切ですし、表示を完璧にしたうえで、信号にインプリメントされている芸術性を伝える「表現」もさらに大切です。

 「創造」はそのさらに先に位置する要素です。ディレクターズ・インテンションを追求した先に結実することであり、これからの課題になるでしょう。

ディスプレイとしてのKUROの凄さ

――それではディスプレイ装置としての「KURO」について、注目すべきポイントを教えてください。

麻倉氏: KUROの凄さは、まさに「表現力の凄さ」に尽きます。フルHDの解像感、緻密な階調性、広い色再現性を持つことは当然ですが、興味深いのが精細感とコントラストの関係です。精細感という観点からすればフルHDとしての精細感は当然持っていますが、同じフルHDの他のディスプレイとは一線を画する画質を実現しているのです。

 それはなぜかと言えば、コントラストが大きな影響を及ぼしているからです。フルHDというプラットフォームでもKUROならば奥行き感やディテールの変化点などさまざまなものをリアルに映し出すので、「ここにこんなものがあるのか!!」という感動を味わえます。黒が沈んでいるというコントラスト感に加えて、ディテール方向への表現力に優れている証拠です。

 プラズマテレビの選択基準を尋ねられたとき、私はコントラストがカギだと伝えてきました。それは、黒がきちんと沈むかどうかで精細感がまったく変わってくるからです。KUROはフルHDプラットフォームながらも(編注:1024×768/1365×768ピクセルのモデルも用意されている)、ここまでの精細感を備えており、ひいては高い表現力を獲得しているといえるのです。

 KUROを導入したら、手元にあるすべての映像ソフトを見直すべきです。そうすれば、新たな感動を味わえることでしょう。

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