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「計算機」と「小石」の関連は?! 電卓の日を前に電卓の資料館を訪ねてみた「電卓の日」を前に電卓を知る(前編)(1/5 ページ)

» 2015年03月19日 20時00分 公開
[渡辺まりかITmedia]
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 「はい、割り勘〜!」――飲み会のあと、適度にアルコールの回った頭を使い、勘定を人数分で割るというのは意外と大変だ。今ではスマホの電卓アプリでささっと計算することもできるだろう。スマホの前はガラケーの電卓機能、さらにケータイが普及する前は胸ポケットにカード型電卓を忍ばせているようなしっかり者の誰かが重宝がられたりもした。

 このように、経理部門や金融関係者などだけでなく、どんな人にとっても身近な存在の「電卓」だが、今のような形になるまでにどのような変遷があったのだろうか? その歴史をひもとくために、東京・飯田橋にある東京理科大学・近代科学資料館と東京・世田谷区成城にある樫尾俊雄発明記念館を訪問してみた。

計算機の語源は「小石」

 訪れた東京理科大学・近代科学資料館には、科学技術発展の礎となってきた計算技術の発展の歴史をたどれる「計算機の歴史」展示室がある。そこには、先人たちが正確な数字を求めるためにどのような工夫をしてきたかを示す数々の道具が展示されている。

 「算具・そろばん」のコーナーで最初に目にしたのは「小石」だった。実は、「calculator(カルキュレーター=計算機)」の語源はこの小石=「カルクリ」から来ているのだ。

 小石の代わりに計算用のコインが使われたり、小石やコインでは転がってしまうため「まきびし」が使われたこともあったとか。

転がり防止の「まきびし」(写真=左)と計算用「コイン」(写真=右)

 現在では易占で使用される「筮竹(ぜいちく)」や、結び目で数を数える「藁算(ばらさん)」、わらではなくシュロを使った計算具も展示されていた。

写真左から「シュロ」「わら」「筮竹(ぜいちく)」。どのように計算していたのか想像すらできない

 飛鳥時代に伝来したという「算木(さんぎ)」と「算盤(さんばん)」は江戸時代になっても使われていた。算木は黒と赤に塗られた木の棒。5本で1〜9を表示でき、算盤の桁のところに配置して計算していく。今で言う「連立方程式」や「高次方程式」の計算もできたというから、いかに日本の“数学力”が優れていたかがうかがい知れる。

算木(写真=左)と算盤(写真=右)。そろばんが普及した後も乗除算や高次元方程式を解くのに使われていたという
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