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「計算機」と「小石」の関連は?! 電卓の日を前に電卓の資料館を訪ねてみた「電卓の日」を前に電卓を知る(前編)(3/5 ページ)

» 2015年03月19日 20時00分 公開
[渡辺まりかITmedia]
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「機械式」計算器の登場

 産業革命で、精巧な歯車が考案されるようになってからは、機械式(歯車式)計算機も開発されていった。現存する最古のものは「パスカリーヌ」。これは、後に物理学者また数学者になったパスカルが税務官吏だった父親の計算を助けるため、何と16歳の時に発明したものだという。仏の貨幣単位は10進法、20進法、12進法が入り組んだものだったため計算が大変だったから、というのが理由だそうだが実に親孝行である。

 歯車式計算機は独の哲学者でもあり数学者でもあったライプニッツにより改良され、その構造は後に大量に製作販売された歯車式計算機の元となった。

ライプニッツが改良した歯車式計算機の構造はその後登場するこれら大量の計算機の礎となった

 国内初の機械式計算機を作ったのは、明治時代の発明家・矢頭良一。四則計算できる独創的なもので、1903年に「パテント・ヤズ・アリスモメーター」という名称で200台ほど製造されたそうだが、残念ながら近代科学資料館に実物がなかった。代わりに、大量に展示してあったのが「タイガー計算器」。当初は「虎印計算器」という名称であり、独・ブルンスヴィガ計算機を模して作られたが、後に歯車を変更。新しいモデルが次々と発売され、名前もタイガー計算器と改められ、電卓が普及する1970年代までに50万台が販売されたという。

 ちなみに、製造していたのは、大本寅次郎という人物。「タイガー」は「寅次郎」という名前から取られたのだ。

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