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「計算機」と「小石」の関連は?! 電卓の日を前に電卓の資料館を訪ねてみた「電卓の日」を前に電卓を知る(前編)(4/5 ページ)

» 2015年03月19日 20時00分 公開
[渡辺まりかITmedia]
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電卓の元祖は「卓」そのもの?!

 手回しからモーター駆動に変化しただけの電気式計算機が多数登場する中、町工場「樫尾製作所」(現在のカシオ計算機)から生まれたのがリレー式計算機「14-A」。それまでの歯車とは違い「リレー」と呼ばれる継電器素子を使った純電気式計算機で、高速性と静粛性が特徴だった。「電卓」ではなく、卓全体が計算機そのものであり、台の下にはリレー341個が収められている。ちなみに、近代科学資料館に展示してあるのは「14-B」。樫尾俊雄発明記念館には動く14-Aがあるので、そちらにも足を伸ばしてみることをお勧めする。

 電卓の「祖」、記念碑的な計算機、カシオ「14-A」の後継機種「14-B」。計算時に騒音のひどかった歯車式計算機とは異なり、静粛性とスピードを誇っていた。テンキーであること、数字の表示箇所が1箇所であることなど、現在見られる電卓のさまざまな特徴を備えている

 世界初の「電卓」は英「ANITA Mk8」で、発表は1961年、発売は1962年。14-Aのキーボード部分がテンキーであるのに対し、こちらは10桁それぞれに1〜9のキーがある「フルキー」タイプだ。

世界初の“電卓”英「ANITA Mk8」(写真=左。所蔵:電卓博物館)。フルキー搭載。並べてみるとカシオリレー式計算機「14-B」の操作盤のシンプルさが際立つ(写真=右)

 国内初の電卓は早川電機(現在のシャープ)「COMPET CS-10A」。1964年に製作されたもので、トランジスタだけを演算素子に用い、キーボードはフルキーを採用。重量は25キログラム、価格は当時の日産自動車「ブルーバード」より5000円安い53万5000円だった。

 国内初の電卓、シャープ「Compet CS-10A」(所蔵:電卓博物館)。やはりフルキー

 各社でフルキーを採用していたのは機械式計算機を踏襲していたからとのこと。そう考えると1957年の時点でカシオのリレー式計算機「14-A」が、今では当たり前となっているテンキーを採用したというのは驚きだ。

 その後、1960年代に国内ではシャープ、カシオ、キヤノン、ソニー、東芝、セイコーなど40社以上が電卓市場に参入していたが、その開発競争を制したのはカシオとシャープだった。1972年にカシオが「カシオミニ」を、1973年にシャープが「EL-805」を発売したからだ。どちらも一般家庭に普及しやすい価格帯でポケットに入るほど小型サイズだった。

1960年代に販売されていた電卓。ソニー「SOBAX ICC-500」(写真=左)は発売当時世界で最も小さかった。キヤノン「Canola 130」(写真=右)
 「一家に一台」ではなく「1人一台」を可能にした記念碑的電卓「カシオミニ」。発売後わずか10カ月で100万台、3年で600万台売れ、シリーズ化もされた

 やがて各社は小型化(1983年、カシオ「SL-800」。世界最薄カード型電卓)や、独自機能の開発(1976年、シャープ「EL-8026」。世界初の太陽電池搭載電卓)に取り組むようになっていった。

 世界初の太陽電池搭載電卓、シャープ「EL-8026」

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