なぜ日本人は“美人すぎる●●”が好きなのか?郷好文の“うふふ”マーケティング(2/2 ページ)

» 2010年03月18日 08時00分 公開
[郷好文,Business Media 誠]
前のページへ 1|2       

フレーズにぐっとくる理由

 フレーズ「美人すぎる●●」にぐっとくる理由は何だろうか?

 まず「美人」という単語の絶対的なパワーにある。美は千差万別、審美眼は人それぞれ。ミスユニバースへの感想がさまざまであるように、美人基準は人により違う。だが個々人で、何かしら絶対的な基準がある。だから美人を探し、語り、平伏したくなる。

 さらにこのフレーズの強力さは、後ろの言葉「すぎる+職業」とセットになることで増幅される。議員、公務員、海女、釣り師、ゴルファーなど、容姿を問われない職業において「美人すぎる」。それは“逸脱”を示している。「その職業なのに」「そんな職業でも」と職業容姿標準から逸脱する意外性があり、驚きがあり、眼の喜びがある。このギャップに男はまんまと妄想をかきたてられてしまう。

 その証拠に「美人すぎる女子アナ」「美人すぎる女優」「美人すぎるタレント」にはぐっとこない。美人が標準である業界では、美人は当たり前。むしろ美人すぎるタレントは埋没して売れないので、イモトアヤコさんのようなコスメがウケる。銀座の「美人ママ」も当たり前(夜の灯りの下ではね)。むしろ、かつてテレビを賑わした伝説のブスママの方がインパクトがある。

イモトアヤコオフィシャルブログ

美人をめぐる日本人の分裂心理

 美人が意外な職業人という逸脱性に、私たちはおっと思うわけだが、その心理にはもうひとひねりもふたひねりも先がある。まず、「本業を逸脱し過ぎるとバッシングが起きる」。

 「美人でも市議が写真集とは……」と、八戸の美人市議のDVD写真集はやり過ぎ・逸脱が過ぎたと評価する人もいた。全国的な話題性は十分だったが、支持した地元民はどう思っただろうか。買ったのだろうか? うがった見方をすれば、「全国区をねらうDVD=参院選出馬」とも言われる。それなら彼女の政治上の信条や政策や活動をアピールする文を主体として、写真付きの『ビジュアル・マニフェスト』という“政治美人本”にとどめておくべきだったと思う。

 バンクーバーオリンピックの國母和宏選手事件に見るように、基本動作をしっかりさせずに逸脱すると、手の平を返すようにバッシングするのが日本社会。逸脱するのは“美人”の部分だけがいい。市議は全国区の洗礼をどう受けるだろうか。

 逆の心理もある。「本業を逸脱する“毒”こそ美人の魅力」。ミスユニバースの板井さんは3カ国語に堪能という異能ぶり。水着で踊る姿に、公務員のイメージはさらさらない。公務員という職業から逸脱するにたっぷりの毒を持つ。村社会に住む日本人の深層には、常に逸脱への願望がある。大分から世界へと羽ばたく異能ぶりに、毒の持つ美しさを感じる。

 さらに言えば「美人すぎる●●」=「本当に美人」なのだろうか? 「その職業なら、そのくらいで美人、ありよね」「ミスユニバースの美基準は何なのかな」というつぶやきもコダマしているように、人びとは美人ハードルを職業やイベントという枠で上げ下げする。美人とは外面だけではなく、職業や資質相応に内面も美しくないといけないという“しつけの意識”が見え隠れする。その意味では“内面の美しさ”も問うミスユニバースの選考基準は、やっぱり正しいのだ。

美人すぎる人へのアドバイス

 「美人すぎる●●」をめぐり、いささか深追いをした。日本人の美意識は微妙で複雑なのが分かった。才色兼備を賞賛もするし、バッシングもすれば、応援もする。

 商業上でも生活上でも美人が武器になるのは事実である。ただ、レッテルを貼って、話題作りだけのマスコミはのほほんでいいが、幸運にも、あるいは不運にも、「美人すぎる●●」と評された当人たちは、どんな美人で生きるか考えなくてはならない。美人すぎるを武器にし過ぎて本業がおろそかではバッシングされる。あえて本業を逸脱するくらいなら賞賛もされる。日本人のこんな美意識の分裂心理をつかんでおかないと、さまざまな意味で“美人薄命”になってしまうのだ。気を付けてください。

関連キーワード

美女 | 公務員 | 基準 | マーケティング


前のページへ 1|2       

Copyright © ITmedia, Inc. All Rights Reserved.