動画の世紀
ASMRとふくらむスポンジ 理由はわからないが心地よい動画の謎(2/2 ページ)
フェチでないとしたら、なぜASMRというニッチなテーマにこれほどの人気が集まるのか。それはこうした動画が、多くの人々に「癒し」を与えているのが理由です。
ASMR動画を見ると、理由はわからないけれど眠くなる、あるいはストレスが軽減されるという人々が多いのだとか。マリアさんの例では、彼女のチャンネルを登録しているYouTubeユーザーには、高いストレスを感じる仕事をしている人々(救命士や消防士、教師、弁護士など)が多いそうです。具体的には長距離のフライトを終えた休憩中に、眠りにつくために彼女の動画を使っているというパイロットや、悪夢を見るのを避けるために動画を使っている、PTSDに苦しむ退役軍人などから、多くのメッセージが寄せられてくるといいます。
もうひとつ、これがフェチではない証拠として、本書では2015年に英国の研究者が行った調査を紹介しています。これはASMRのフォーラムやグループに参加している人々を匿名で調査したものなのですが、それによると、「性的興奮を得るためにASMRのコンテンツを使用していると回答したのは、全体のごくわずか(5パーセント)であり、大部分(84パーセント)はこの認識を否定している」という結果。実際にマリアさんの「Gentle Whispering ASMR」も、ユーザーの男女比率はほぼ同じ(女性の割合の方が少し高い)そうです。
理由はわからない、けどなぜか「それ」に心地よさや満足感を覚える――そうした感覚を与えてくれるコンテンツは、ASMRのような音を軸としたものだけではありません。他にもアロッカさんは、こんな動画を撮り上げています:
もしかしたら、先ほどのASMR動画以上に理解不能だったかもしれません(個人的にはこの動画にひどく心地よさを覚えるのですが)。乾いていたスポンジが、水を吸収してふくらむ「だけ」の動画です。しかしそれだけの動画が、6万回以上も再生されているわけです。
これ以外にも、汚れた道路が放水できれいになる場面の動画や、耳かきで耳をきれいにする動画、プレス機で何かを潰す動画など、さまざまなコンテンツが存在しているようです。それらは例えば、道路の清掃方法のようなスキルや、物の強度のような知識を伝えるのが目的ではなく、何らかの「心地よさ」を共有してもらうためにアップされているのです。こうしたコンテンツには「妙に満足感が得られる(Oddly Satisfying)」という形容詞が与えられており、内容は千差万別ですが、YouTube内において無視できない勢力となっていることが指摘されています。
従来のメディアにおいて、このような「なぜうけるのか」という理由を言語化できないコンテンツを企画にして、予算を獲得し、貴重な紙面や放送時間を割いて提供するというのは、不可能ではないにせよ難しい相談でした。しかしWeb 2.0、そしてYouTubeの時代が訪れたことで、「私はこれに心地よさを感じる」と個人が考えるものを、自由にネット上で発信できるようになったわけです。その意味でASMR動画の流行や、「ふくらむスポンジ」動画の再生回数は、動画の世紀の到来を象徴するもうひとつの側面と言えるでしょう。
最後に、実はある意外な有名人が、多くの人々から「ASMRの元祖」と考えられているのだそうです。その方の動画を掲載しておきましょう:
米国人の画家、ボブ・ロスさんです(YouTube上に公式チャンネルが開設されています)。日本でもテレビ番組『ボブの絵画教室』が有名ですから、ご存知の方も多いでしょう。彼のささやくような声と、筆やナイフが擦れる音に、ASMRの効果を感じる人々が存在しているのです。
そういえば昔から、『ボブの絵画教室』には何か心地よさを覚えていた――そう思われた方は、先ほどのマリアさんの動画など、他のASMR動画も確認してみて下さい。動画の時代には、言語化できない感覚や感情までも、簡単に共有することができるのだと実感するでしょう。
著者プロフィール:小林啓倫(こばやし あきひと)
経営コンサルタント。1973年東京都生まれ、獨協大学外国語学部卒、筑波大学大学院地域研究研究科修士課程修了。システムエンジニアとしてキャリアを積んだ後、米Babson CollegeにてMBAを取得。その後外資系コンサルティングファーム、国内ベンチャー企業などで活動。著書に『FinTechが変える! 金融×テクノロジーが生み出す新たなビジネス』(朝日新聞出版)、『IoTビジネスモデル革命』(朝日新聞出版)、訳書に『テトリス・エフェクト 世界を惑わせたゲーム』(ダン・アッカーマン著、白揚社)、『シンギュラリティ大学が教える 飛躍する方法』(サリム・イスマイル著、日経BP社)『YouTubeの時代』(ケヴィン・アロッカ著、NTT出版)など多数。
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動画の世紀
20世紀は「映像の世紀」。現在が「動画の世紀」に突入しているのだとすれば、そこにどんな変化が起きているのか。「YouTubeの時代」訳者の小林啓倫氏が描きます。
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