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「量子理論の副産物に過ぎなかった」──東芝の「量子コンピュータより速いアルゴリズム」誕生秘話「量子コンピュータとは何か」を問う“新たな壁”(1/5 ページ)

» 2019年07月30日 07時00分 公開
[井上輝一ITmedia]

 今、量子コンピュータの一種である「量子アニーリングマシン」で高速に解けるとされる「組合せ最適化問題」をより速く・大規模に解くべく、各社がしのぎを削っている。

 米Googleと米航空宇宙局(NASA)が2015年に「従来のコンピュータより1億倍速い」と評した量子アニーラ「D-Wave」を作るカナダD-Wave Systems、量子アニーリングを模したアルゴリズムをデジタル回路上に再現する富士通と日立、光を用いて解く「コヒーレント・イジングマシン」を作るNTTの研究グループなどだ。IBMなどが作る「量子ゲート方式」の量子コンピュータを用いた組合せ最適化計算の研究も盛んだ。

 各社が組合せ最適化計算に取り組むのは、これを高速に解けると交通渋滞の解消や金融ポートフォリオの最適化など、社会問題の解決やビジネスへ応用が見込めるからだ。

 そんな中、他社の計算性能を上回るアルゴリズムを東芝の研究者が開発した。専用マシンを必要とせず、家庭向けのPCに搭載される「GPU」でも高速に計算できるという。

 東芝は4月に、同アルゴリズムを搭載したFPGA(プログラミング可能な集積回路)による計算で、それまで最速だったコヒーレント・イジングマシンを上回る計算性能を発揮したとする論文を発表した

東芝の「シミュレーテッド分岐アルゴリズム」を組み込んだFPGA

 論文の公開と同時に、東芝は19年中に同アルゴリズムを核にした事業を立ち上げると発表しており、強気の姿勢を見せている。

 量子コンピュータでもなく、専用の回路ですらない従来の汎用マシンで最速・最大規模を叩き出すアルゴリズムとは何なのか。量子コンピュータよりも速い、「シミュレーテッド分岐アルゴリズム」を発表した論文の責任著者である、東芝の後藤隼人主任研究員に話を聞いた。

もともとは量子コンピュータ理論の「副産物」

東芝で量子コンピュータを研究する後藤隼人主任研究員

 後藤さんは、東京大学で大学院まで物理学を学んだ後、東芝で量子コンピュータや量子光学を専門に研究してきた。

 後藤さんは2016年に、「量子分岐マシン」と名付けた量子コンピュータの理論を発表した。これは量子アニーリングと同様に、組合せ最適化問題を表す「イジングモデル」を解くマシンだが、「汎用量子コンピュータ」の動作原理である量子ゲート計算にも応用できるという。しかし、この新型量子コンピュータには特殊な素子を用いなければならず、既存の量子ビットとも異なるためにまだ開発途上だ。

 量子分岐マシンの発表時、後藤さんは「古典分岐マシン」も論文内に記載していた。ミクロな世界を記述する量子力学をベースにする量子分岐マシンを、マクロな世界の古典力学、つまり量子性のない数式に書き直したものだ。

 この古典分岐マシンの理論こそ、量子コンピュータより速いという「シミュレーテッド分岐アルゴリズム」の原型である。

理論の原型は、量子版のアルゴリズムとともに2016年に発表していた(スライドは東芝提供)

発表から1年半、誰も有用性に気付かなかった

左のa,bが量子分岐マシンのパフォーマンスで、右のc,dが古典分岐マシンのパフォーマンス(2016年の論文より) 量子分岐マシンが古典より優れていることを示していた

 しかし16年の論文発表当時、古典分岐マシンをそれほど有望視はしていなかった。論文の考察を引用すると、「古典分岐マシンは良い確率で最適解を得られる……(中略)……量子分岐マシンはより良い性能を発揮できる」。つまり、古典分岐マシンは量子分岐マシンの有用性を示すための比較対象に過ぎなかった。

 「発表当時、自身を含め誰も古典分岐マシンの有用性に気付かなかった。新しくはあったが、研究するほどではないと思っていた」──後藤さんは当時をそう振り返る。

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