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Adobeのフォント開発者が、日本の楽しく独特なフォント使いと未来を語るデジタルネイティブのためのフォントとデザイン[インタビュー特別版](2/2 ページ)

» 2019年09月30日 11時00分 公開
[菊池美範ITmedia]
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令和対応をどう乗り切ったか

―― 次にケンさんへ質問です。多言語対応のフォント(源ノ明朝、源ノ角ゴシック)の開発において、技術的に一番苦労された点は何でしょうか。

ケン まずは全体のプロジェクト管理がとても難しかったです。源ノ明朝、源ノ角ゴシック実現するグリフ(フォントにおける個々の字形)の数がとても多かったので。フォントフォーマットの限界にまで達していました。もう1つの大きな課題が、東アジアの複数の言語をサポートしなければならなかったことです。ハングル文字を組み込むことも大きな課題でした。それに、フォント内でのありうる配列が150万通りほどありましたので。日本語部分については西塚涼子さん(Adobeのフォントデザイナー)の功績です。ハングルのグリフは韓国のサンドルさん(Sandoll Communication)が設計しました。お2人とも今日のカンファレンスに出席していますよ。

―― 1文字で令和を表示する「令和合字」の対応は開発者にとって過酷なミッションでしたか。

ケン その点ではいろいろな組織とやりとりをしなければなりませんでした。Unicodeの組織とも仕事をしていますし。令和のリガチャーのエンコーディングをしなければいけなかったことが第1の課題です。エンコードさえしてしまえばAdobe-Japan1-7のグリフのコードをつくることができます。デザインを決めたうえでですけどね。でも、令和の元号が公布された2019年の4月1日までは、グリフのデザインができませんでした。そこでやるべきことは2つありました。まずはスペック(仕様)のアップデートです。他の開発者さんがフォントのアップデートをできるように、まずAdobeがそれを進めること、それに私たちのフォントもアップデートしなければなりませんでした。

―― すでに源ノ明朝、源ノ角ゴシックを使用されているユーザーへの令和合字対応でユーザーにどのようにアップデート告知するかで苦慮された点はありますか。

ケン それも実は今回の問題の1つでした。アプリケーションにバンドルされているフォントがあり、もう一方でAdobe Fontsからダウンロードできるフォントをアクティベートして使えるようにしているわけですが、この場合、どうしてもアプリケーションにバンドルされているフォントのアップデートが優先されてしまいます。どのアプリケーションなのかは具体的に申し上げませんが、すでにアップデートが済んでいるものもあります。

―― 日本語フォントのグリフ数は多言語対応のフォントに比べて少ないものもありますが、今後はグリフ数を増やしてCJKを全て包摂するフォントにすることが望ましいですか?

ケン それはAdobeが決めることではなく、それぞれのフォントのファウンドリーが決めることだと思っています。例えばある書体のファミリーを所有しているファウンドリーが、Adobe-Japan1-3からAdobe-Japan 1-7にいくかという意思決定は、あくまでもファウンドリーのものです。グリフリストを公開しているのもそのためで、それをご覧になった上で、自社のグリフのカバレッジを上げるのであれば、どのようなことができるかはリストを見れば判断できます。グリフを増やす方向に移行するのもしないのも、ファウンドリーの意思判断です。ある意味、商業的な選択をどうするかということになります。

―― Adobeとしてはいつでもドアを開けているけれど、それに入ってくるかどうかはファウンドリーの意思次第、ということですね。

ケン Adobe-Japan1-7の仕様に関してもGitHubですでに公開しておりますし、3カ月前からは日本語でも見られるようになっています。

―― お2人にお伺いしたいのですが、フォントのことや使い方をよく知らない一般のビジネスパーソンに向けて、OSのデフォルトフォントだけでなく、もっと表現力が高いAdobe Fontsのコレクションを使ってもらうには、どんなことをユーザーに伝えるべきだと思いますか。開発者の視点でご意見をいただけますでしょうか。

ダン Adobe Fontsの中でもいくつか日本語フォントをご用意しています。欧文フォントに比べればまだ数に限りがありますが、欧文フォント圏のユーザーのようにもっと多彩なフォントを使いたい、工夫をしたいということであれば、ユーザー自身がもっと積極的にリクエストすることが必要です。私たちはパートナーであるモリサワ、字游工房、大日本印刷などからライセンスを受ける立場ですので、どういったフォントツールを組み込むかということも含めて、ぜひご希望をフォントメーカーにリクエストしてください。

ケン Adobeがそのために何をしているかといえば、新しい書体をリリースするときは、とにかく楽しい、面白い要素を盛り込むことを考えています。例えばこれまでフォントに興味がなくて見過ごしてきた人たちが「これ面白いじゃん!」と思ってもらえるようにしたいですね。貂明朝体をリリースしたとき、いくつかユニークなカラーSVGグリフをつくりました。それによってみなさんにずいぶん注目していただけたのではないかと思っています。源ノ角ゴシックを出すときにも、ものすごく画数の多い難解な漢字を意図的に入れたりしました。ビャンビャン麺の「ビャン」(58画)や「たいと(84画)」とか。そこで面白かったのが、他の東アジアの言語でも正しくそれらの文字が表示できることでした。それぞれ1文字でグリフは4つ使っています。

photo 貂明朝体はカラーフォントを表示できる。詳しくはAdobe Blogを参照
photo 中国料理に実在する「ビャンビャン麺」の「ビャン」

ダン いま使っているフォントじゃなくて、このフォントを使えば何か特別なことができるんじゃないか、と思っていただく手段としては、これもありなのかと思います。

―― お2人に最後の質問です。日本の造形教育機関(デザインや美術)におけるタイポグラフィの教育は十分だと思いますか。私はあまり十分ではないのではないかと思っています。

ダン 日本のユーザーのイベントにお邪魔していつも思うのですが、みなさん本当にフォントを愛しているのだなあ、ということを強く感じます。書体やタイポグラフィに情熱を持っていて、いつも熱心に私たちの話をよく聞いていただいています。教育という意味では日本もアメリカと同じ課題を抱えているのでしょうね。あらゆる職業、専門分野の人がキャリアの中でフォントを使いこなす必要が多くなって、結果的にいろんな場面で経験を積むことができています。その一方でグラフィックデザイナーの仕事としてみたときは、私の若いときよりも幅広い知識を得なければならなくなってきています。そんな中ではタイポグラフィに多くの意識を向ける機会が少なくなっているのかなと思います。

ケン 日本語のタイポグラフィは複雑なこともあるのでしょうが、アメリカに比べると日本語のタイポグラフィに関心を持つ人が少ない状況があるとすれば問題だと思います。私はフォントを開発をやっていますが、フォントを開発する人にとってより良いフォントをつくるためには何が必要なのかということを考え、そのヒントを伝えたいと思っています。私たちが貂明朝体を出したとき、同時に非常に長い記事をリリースしました。どうやって作ってきたか、どんなところが特別なのかということをデベロッパーの人々と共有することによって、「自分たちもこういう新しい特別なフォントを作ろう」という気持ちが向くように持っていきました。Adobeとしてはもっと多くの人に、もっと多くのフォントを開発してもらいたいという思いがあります。

 日本語フォントは開発に時間がかかってしまうという事情はありますが、Adobeとしてはいろんな人々に多くのフォントを提供していただきたいと思っています。フォントによる表現の幅が広がれば、ソフトウェア上で楽しいもの、美しいものをもっと作ることができます。

―― 本日は素晴らしいお話をありがとうございました。

photo ダンさん、ケンさんはATypI 2019のために来日され、日本を含む世界のフォント開発者や関係者と交流を深めていた。ダンさんの腕に彫り込まれた入れ墨はフォント愛が極まったものである。どんなフォントで彩られているかはこのサイトで写真とともに掲載されている
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photo ATypI 2019では世界各地のフォントベンダーや開発者の製品やコンセプトが数多く展示され、来場されていた方々の興味をひいていた。フォントデザイナーによるライブレタリングや、日本語で自分の名前を好きなハングルフォントで無料プリントするサービスなど、楽しいイベントも盛りだくさんだった
photo カンファレンスで日本のタイポグラフィ史をプレゼンテーションするAdobeの山本太郎さん。フォントにおける歴史的な知見と屈指の資料を所有する山本さんのスピーチは貴重なものだった。源ノ角ゴシック体/源ノ明朝体の誕生にあたって尽力された1人だ
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