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なぜ「VR動画」と「360動画」を分けるべきなのか(2/2 ページ)

» 2020年02月17日 08時00分 公開
[西田宗千佳ITmedia]
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AIと「知性」の微妙な関係

 ではAIはどうか?

 2019年末の「AI美空ひばり」によるパフォーマンスや、2月に連載がスタートする「AI手塚治虫」によるマンガ執筆は大きな議論を巻き起こしている。

 中でも多いのは「故人に対する冒涜(ぼうとく)ではないか」「気持ち悪い」という声だ。筆者は単純に、こうした意見に与するものではない。なぜなら、これらは「作品」であり、勝手に生み出されるものではないからだ。人がツールとして「いわゆるAI」を活用して作り上げた、故人から影響を受けた作品にすぎない。その企画が面白いのか、出来上がった作品の品質が問題であり、本来はAIがどうこう、という話ではない。

 ではなぜ議論を巻き起こすのか? それは「AI」という言葉に存在する「人とは異なる知性を持ったもの」というニュアンスが一人歩きするからだ。

 現状、こうした技術で使われるのはいわゆる「ディープラーニング」である。大量のデータから特定の傾向を読み解き、それを活用する。

 過去、AIやディープラーニング技術の取材をしている時、研究者・開発者は口々にこう説明した。

 「この技術は、いままで熟練工しかできなかったことを、初心者が学習したり、機械が行ったりすることの助けになる」

 理由は、そこに知性があるからではない。人間ならば、長い修行の末に一部の人だけが気付いて体得したノウハウを、データの処理から見つけ出す可能性があるからだ。過去のソフトウェア手法ではできなかったことが可能になったことで、そこに投資が集中した。

 自然言語処理にしても、画像・音声認識にしてもそうだ。人間が長い間の学習で身につける能力を、ソフトウェアが大量のデータからの学習として再現可能になってきている。もちろん、それはごく一部にすぎず、いまだ人間にかなわない部分もある。

 こうしたやり方で、機械に「人間の行動や判断から感じられる知性に似た感覚」を得ることは可能になったが、人間のもつ汎用的な知性を獲得することはできていないし、そのためのアプローチも見えていない。

 そもそも、人間が「相手を知的と感じる」理由はなんなのだろうか? それすらちゃんと定義できていない。動物にも知性に似た行動は存在するし、人間がやっていることだって、全てが本当に知性といえるのかどうか。

 この辺は「ぶっちゃけよく分からない」のである。

 でも、機械を使った学習の仕組みが、人間を補助する仕組みとして役に立つのは間違いない。美空ひばりの歌声に存在していた「美空ひばりらしさ」の一部を再現できたかもしれないし、手塚治虫の持っていたタッチの一部を再現できたかもしれない。熟練工の持つ機械操作の一部を再現できたかもしれない。そのことは、人間によって便利な道具である。

 さらにいえば、「ディープラーニング」という言葉を使ってはいるが、「ディープ」とは何を指して「ラーニング」とは何を指しているのか。ちゃんと定義して使っているだろうか。

未来にリザーブされた言葉を使いつぶしてはいけない

 全ての定義を、ちゃんと全ての人に理解して使ってもらうのは困難だ。筆者にしろ、「多少技術に詳しく、専門家に話を確認する能力を持った一般人」にすぎない。

 重要なのは「言葉の定義を正確に使いなさい」と強弁することではない、と思っている。

 分かりやすい言葉にまとまり、収斂(しゅうれん)していくのは自然なことだ。だがそこで、言葉が使われすぎて、将来に禍根を残すことは避けた方がいい。

 人間が、定義はよく分からないものの「知性とやらをもっている」ことは間違いない。いつか、ソフトウェアが「知性と定義せざるを得ないもの」を身につける時期が来るだろう。それがいつかは分からないが、人間の脳というタンパク質の塊にしか知性は宿らない、と考えるのは難しい。

 ならば、それがやってくるまでに「AI」を手垢のついた言葉にしていいのだろうか。その時また、新しい言葉を作ることになってもいいのだろうか。

 VRも同様だ。

 現在のVRにつながる概念は1950年代には生まれている。定義の仕方によっては、19世紀末、映像記録が登場すると同時に生まれた、といういい方だってできる。

 一方、1990年代初頭の「VRブーム」では、そのイメージが新しく、技術もあらゆる面で開拓期だったためか、何でもかんでも「VR」という言葉で語られてしまった。Oculus Riftが生まれ、今日的なVRが生まれた時、「VRって昔あったでしょ」という言葉に悩まされ、投資やビジネス展開の時に苦労した例は聞いている。同様に、「AR」が2000年代末、「セカイカメラ」などの初期実装でもてはやされた結果、「スマホで何か見る奴でしょ」といわれてしまい、今日的なARの説明に苦労した……という話もある。

 AIについては特に、人間のアイデンティティーに基づく表現だけに、反応が苛烈だ。「360動画」のように、その性質をちゃんと示した別の言葉があっていいように思う。個人的には、トヨタがCESの会見で使った「Intelligence Amplified」(知性の増幅)や、MITメディアラボが提唱している「拡張知性」(Extended Intelligence)という言葉がふさわしいようにも思う。人間の気付きを拡張して、外部脳としての価値を高める技術、というニュアンスだ。

photo 個人的にAIという言葉の置き換えとして気に入っているのは、トヨタが使った「Intelligence Amplified」(知性の増幅)という言葉だ。

 今ある技術、そして今ある産業にはちゃんと価値を認めるべきである。その上で、「そのものを指す適切な言葉」があるなら、そちらを使うべきだ。未来にリザーブされている言葉を軽々に使いつぶすのは良くない。少なくとも報じる側、メディアの側は、こうした課題にもう少しセンシティブになっていい、と思っている。

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