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» 2020年02月28日 15時31分 公開

「書くこと」とテクノロジーの関係を整理する (1/2)

手書きからPC、ワープロ、携帯、フリック、音声と、書くための技術は変遷を遂げている。これらのテクノロジーは書くことに、どう関係してくるのか、あらためて考えてみた。

[西田宗千佳,ITmedia]

 いうまでもないことだが、この文章は「PC」というテクノロジーを介して書かれている。PCだったりタブレットだったり、スマートフォンだったりと、実際に使う道具はバラバラだが、筆者が外部に公表する文章は100%テクノロジーを介して作られたものだ。今時珍しいことでもない。

 「スマホしか持っていない若者には文章が作れない」という声を聞くこともあるが、「そんなことはないんじゃないか」と思う。実際筆者は書いているし。大昔、紙からワープロ・PCへと移行した時代や、それどころか、海外で紙からタイプへと移行した時代にも、「機械で作る文章など」と言われたものだ。

 時代によって(広義の)テクノロジーは変わり、テクノロジーによって表現は変わる。一方で、人間の脳みそは(おそらく)変わっていない。

 というわけで、「書く」という最終的な行為が、テクノロジーの介在によってどう変わっているのか、少し整理してみたいと思う。

この記事について

この記事は、毎週月曜日に配信されているメールマガジン『小寺・西田の「マンデーランチビュッフェ」』から、一部を転載したものです。今回の記事は2020年2月17日に配信されたものです。メールマガジン購読(月額660円・税込)の申し込みはこちらから

「道具への慣れ」と「道具による思考への影響」

 「スマホでは長い文章は書けない」といわれるのはなぜだろう? シンプルにいえば、慣れ親しんだPC+キーボードに比べて方法論が違いすぎて使いづらい、入力が遅いと感じる、ということだろうと思う。

 確かにそれは事実といえる一方で、「物理キーボードがいやだ」という若者もいる。10年前は「ケータイのテンキーでレポートを打ちたい」といわれたものだし、今はそれがフリック入力に変わっただけだ。もうすぐ音声入力で同じ話が出てくるだろう。音声入力の認識率がさらに高まるのであれば、もはやタイプするより早い。キーボードを打てる人が少なかった時代には、ペンで書いた方がずっと速かった。

 こうした話は「道具による慣れ」と、「道具が思考に与える違い」の関係を考慮しないとズレていく。テクノロジーへの習熟度は、「書く」「描く」などの作業の場合、効率に直結する。効率の悪さは時に思考の妨げになるため、道具の特質だと誤解されやすくなる。過去、PCやワープロが「清書道具」と扱われていたのは、印刷するときれいになるという特質が好まれたものの、タイプするという行為への習熟度が低かったため、紙と同じように思考のための道具としては扱われなかった、と理解すべきだ。

人間にとっては自然で自由な「紙+手書き」

 とはいうものの、テクノロジーの性質として、それぞれには明確な性格もある。ただし、それらの多くは「現在は」という留保がつくが。

 紙+ペンは、「人間にとって最も自然であり、自由度が高い」というのがなによりの特徴だ。紙という記録媒体は便利だ。軽く、どこにでも持ち運びやすく、サイズの制約も小さい。その上にペンで書くのは、だれにとっても難しくない。枠などが決まっている場合もあるが、そこからはみ出すか、中に入れるかは書く側の自由。文字や図を描いたり、文字を囲って強調したり、線を引いて追加情報を加えたりするのも難しくない。

 すなわち紙は、自由な平面の上に、思考を書き出していくにはとても向いた道具だ、ということだ。

 欠点は「他人への伝達手段としては制約が多くなる」ことだ。自分以外に理解させることを前提とすると、「きれいに整理して書く」「他人にも分かりやすく書く」必要が出てくるし、「検索性」も求められる。データ化しないと処理したり伝達したりするにも制約がある。

 こうした欠点は、現在のテクノロジーで解消されつつある。画像としてデータ化して蓄積できるし、そこから文字認識などを使って検索したり、自動整理したりすることも不可能ではない。タブレットなどの上にペンで書く、という形を採れば、「傷みやすく、なくなりやすい」という紙の欠点もカバーできる。

 ただし、人間には認識できる手書きでも、100%ソフトが正しく認識できるとは限らないし、そもそも「他人に理解できるつもりで書いて」いても読み取れないことは多々ある。

 すなわち手書きとは、「自分が思考を外に出すためのツールとして優れているが、伝達のツールとしては不向き」である、と言うことができる。

 ただ、技術の進化が「手書き文字のデータ化」に関する制約を取り去っていった結果、PC+キーボードとの差違も小さくなっていく可能性は存在する。

PC+キーボードは「データ化」こそ特質

 「PC+キーボード」の特徴は、データ化と直結していることだ。他人への伝達や蓄積、検索を前提とした文書の作成には向いている。現在、ほとんどの文書がPC+キーボードから生み出されているのは、「コンパクトにデータ化されている」という価値が絶大であるからだ。

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 しかも、タイプという作業は無駄が少なく、生産効率がいい。同じ量の文章を書くのであれば、紙+ペンよりもタイプの方が身体への負担も小さく、生産速度も速い。修正・変更が、紙に比べて圧倒的に簡単であることも大きい。

 一方で制約は「文字というデータにする作業を脳内でやってしまう」ことであり、「文字以外がストレートに扱いづらい」ことだ。横もしくは縦に文字を並べていくには向いているものの、紙+ペンが持っていたレイアウトの自由さは失われる。音声や板書を文字化する場合には、脳内で「シンプルな文字」に置き換える作業を行っているため、どうしても情報欠損が出る。

 別の言い方をすれば、PC+キーボードという道具は、「特定の方向へ文字を素早く積み上げていく」にはとても向いたものなのだ。もちろん、マウスやカーソルキーで前後に移動して作業できるのだが、本質としては「先の文章を脳内で考えながら今の位置にタイプしていく」アプローチだといってもいい。

 これは半ば私見だが、脳内で行われる「シンプルな文字への変換」という作業は、意外と負荷が大きいのではないか、と考えている。

 「会議や取材のメモをタイプできない」という人が時々いるが、その人々にヒアリングすると、文字化する際の情報欠損に問題があり、「文字化してタイプしているうちに次の話題がやってきてしまう」と言われる。かといって別にタイプが遅い人ではない。普段はあまり意識していない脳への負荷が、メモのタイプというリアルタイム性の高い処理では気になってくる、ということではないか。

 ごく小さな負荷という観点で言えば、日本語入力は不利である。ローマ字入力であれば「ローマ字化」「漢字変換」という2つのレイヤーが挟まる。かなタイプだとしても、漢字変換は必要。タイプしたものが文章そのものである英語などに比べ、思考との直結性は劣る。

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