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» 2020年11月20日 18時12分 公開

新連載「“PC”あるいは“Personal Computer”と呼ばれるもの、その変遷を辿る」:“PC”の定義は何か まずはIBM PC登場以前のお話から (3/3)

[大原雄介,ITmedia]
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国内の「マイコン」の動き

 国内だとNECの「TK-80」(1976年)、東芝の「TLCS-12A」(1976年)、日立の「H68/TR」(1977年)、富士通の「LKIT-8」(1977年)、パナファコムの「LKIT-16」(1977年)辺りが先鞭(せんべん)をつけ、これにシャープの「MZ-80」(1978年)、NECの「PC-8001」(1979年)、富士通の「FM-8」(1981年5月)辺りまでがギリギリ「IBM PC前」に続いている。

photo TK-80(出典:NEC

 細かくいえば、他にも東芝のパソピアやら三菱のMulti-8やら、FM-8の親戚(?)であるBUBCOM-80やらといろいろあるのだろうが、そういう細かい歴史をほじくり返したいわけではない(この辺りに興味ある方は、例えば情報処理学会の「日本のコンピュータ>パーソナルコンピュータ」などが参考になる)。

 肝心なのは、1970年代のマシンというのは今でいえば開発キットに相当するレベルの製品ばかりで、BASICがあればラッキー。下手をすると機械語を手入力(Altair 8800とかIMSAI 8080などは一列に並んだトグルスイッチでこれを入力するというすさまじい仕様。これがTK-80とかになると、16進キーボードで入力できるようになり、恐ろしく楽になった)するという話で、ホビイストというかマニアと一部エンジニア向けというレベルだったのが、1980年頃になると「マシンとソフトを購入し、ユーザーが使うだけ」といった感じになり始めていた(もちろんまだ完全ではないが)ことが見て取れる。

 ただし当時は、アーキテクチャを統一するとかAPIを合わせるといった概念そのものがほとんどなかった。例外はBASIC言語とCP/Mで、何しろ当時一番使われた言語がBASICだったから、「BASICの動かないマイコンなんて、マイコンじゃない」という、ある種の暗黙の了解が確実にあった。

 中には縮小版の「Tiny Basic」を移植して事足れり、なんて手を抜いたメーカーもあるにはあったが、一般的にはMicrosoftのBASICが事実上の標準だったこともあり、結局ほとんどのメーカーがMicrosoftに移植費用を支払って、自社のマイコン向けにBASICを用意してもらうことになった。もう一つが、これはZ80および8080/8085を使う機種に限られるが、CP/Mの移植である。というのは、「WordStar」(ワープロ)とか「dBASE II」(カード型データベース)、VisiCalcなどがCP/Mの上で動いており、こうしたビジネス向けアプリケーションを使いたいユーザーは、CP/Mが動くマイコンを選択することになった。かくして主要なZ80/8080/8085搭載マシンは、CP/Mを移植してもらうべく、今度はDigital Researchの戸をたたくことになる。

 つまるところIBM PC登場以前のマイコンに共通するもの、逆に言えばマイコンがマイコンと呼ばれるための条件は、

  • BASICが動く
  • CP/Mが動く

 だった気がする。もちろんこれは米国でのみ通用する話である。日本の場合、例えばPC-8001はCP/Mは動かせる(I/Fボードと32KBのRAMカードを追加する必要がある)ものの、日本語が扱えないという問題があって、そもそも日本ではCP/Mはあまり流行したとはいえなかった。日本の場合、こうしたビジネスに本格的に利用するという機運が盛り上がったのは、IBM PC後の話になる。ただBASICが動かせるという条件は日本でも同じであり、英国も似たようなものだった。つまりIBM PC以前は、ほぼ「BASICが動く」がマイコンの条件だったと考えて差し支えなかったと思う。これがIBM PC以降でどう変わったか、という話は次回。

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