余談のついでにいえば、このEISAのSpecificationはなかなか日本では入手が難しかった。そこで少なからぬエンジニアは、EISAのSpecificationそのものではなく、これの解説書(写真2)をがんばって入手し、これを読み込んで仕様を理解したりしていた。
さて話をEISAそのものに戻す。EISAにはすぐに強い味方が出現した。Intelである。Intelは1990年にEISA向けのチップセットとして、Intel 82350シリーズを出荷開始した(写真3)。
構成は386向け(写真4)・486向け(写真5)ともにおおむね同じで、この82350シリーズを利用することでEISAのカードや対応マザーボードの構築がかなり容易になった。
もっとも、カードはともかくマザーボードの側は、Compaqなどは自前でチップセットを開発していたし、互換チップセットベンダーも相次いで自前でEISAのサポートを手掛けるところが出てきたから、それほど広範に売れたというものでもないのだが。
EISAはまた、ISAで問題になっていた「リソースの競合」の解決策としてECU(EISA Configuration Utility)と呼ばれる機能を提供した。リソースというのは拡張カード同士が使うメモリや割込み・I/Oポートが重複する問題である。
この当時の拡張カードは、これらのアドレスや番号を、拡張カードの上のジャンパースイッチで設定するのが一般的であったが、これをユーティリティの形でソフトウェアから制御しよう、という意欲的な試みである。
これはどんなものか? というのは、ちょうど三菱電機がまだApricot(かつて販売していたPCのブランド)向けのEISAユーティリティの説明画面をオンラインで掲載しているので、これをご覧いただくのが早いかと思う。
使い勝手から言えば「悪い」というのが正直なところで、何しろDOS上で動くユーティリティとして提供されたので、拡張カード同士の設定がバッティングしてDOSがブートしない状態では設定変更できない(ので、カードを1枚づつ追加しながら、そのたびに設定を変更してゆく必要がある)とか、EISAカードのくせにDMAなりI/Oポートなりを決め打ちで固定しており、設定変更できないため他のカードの設定で逃げる必要があるとか、EISAはともかくISAのカードのことは全く知らぬ存ぜぬだったので、これを自分で手入力する必要があるとか、まあ随分苦戦させられた覚えがある。
その割に性能はあまり高くなく、それでいて値段は高いということで結局サーバやワークステーション、あるいは一部のマニア(注1)にしか売れないまま消えていった規格ではあるが、とにかく「ブツはあっても仕様がなかった」状態のPCに「Specification」を持ち込んだという一点で、EISAの功績は高かったと思う。そしてEISAの反省がその後のISA PnPの泥沼につながり、そうした反省からPCIが生まれてきたことで、PCというものの実体が次第に現実的に定義できるようになった、その最初のきっかけを作ったことは間違いない。
※注1: 筆者はAMIのEnterprise IVを、筆者の友人(元会社の同僚)は同じくAMIのEnterprise IIIを使っていた。どちらも良いマザーボードであった
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