IBM PC、PC/AT互換機からDOS/Vマシン、さらにはArmベースのWindows PC、M1 Mac、そしてラズパイまでがPCと呼ばれている昨今。その源流からたどっていく大原雄介さんによる解説連載の第8回。前回はPCのアーキテクチャを巡るIntelとMicrosoftの動きを描いたが、今回はそこでIntelの取り組みの成果の一つとして挙げたUSBのお話である。
USBはいろいろ失敗もある(というか、現在進行形で失敗し続けている気もしなくはない)が、それでも大成功したインタフェースである。そして単にPCだけではなくマイコン(※1)などでも普通にサポートされるようになってきており、加えてPD(Power Delivery)規格の普及もあって、既にPCという枠を超え、インフラに近い所まで発展しつつあるが、一時期は「PC=USBを装備しているもの」という時代が確かにあった。
※1: ここで言うマイコンは、連載第1回で出てきた方のマイコンではなく、MCU(Micro Controller Unit)として分類される、現在も広範に使われる8〜32bitのプロセッサの方。Raspberry PiとかRISC-V PCはここには入らない。ArduinoとかMbedボード、M5Stackなどに搭載されているやつのことだ
そのUSB、どうも調べた限りではかなり早い段階からUSB(というか、Universal Serial Bus)という名前でIAL(前回登場したIntel Architecture Labs)で開発が始まったらしい(誰がこの名前を思いついたのかはついに調べきれなかった)。そのUSBが生まれるきっかけになったのは、アジャイ・バット氏(写真1)である。
当時バット氏はIntelのchipset architecture teamのsenior staff architectというポジションにいたのだが、自宅で奥さんのPCにプリンタをつなぐ作業中に、そのあまりの手間の掛かり方に軽くキレたようだ。
プリンタだけでなく、モデムやジョイスティック、スキャナーなど全ての周辺機器の接続には、当時それなりのスキルと忍耐力が必要とされていた……と書いても想像できない人の方が今では大多数だろう。ただバット氏、そこでキレて終わりにするのではなく、これを解決できる方法があると確信し、それに向けて動き始める。
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