くどいほど何度も視聴者の存在を強調してきたが、eスポーツが成立する過程において、「視聴環境の定着」は大きな意味を持っている。
初期のゲームにおいて、ゲームの視聴者とは「同じゲームセンターにいる人」だった。PCや家庭用ゲーム機はパーソナルな存在だったので、スポーツゲームや格闘ゲームで友人・家族と直接競い合うくらいがせいぜいだ。だから、アーケードゲームの「大会」は初期から存在したし、家庭用ゲーム機向けの「大会」もあった。
ただここでの競技は、あくまでゲームの販売促進という面が多く、プレイヤー同士の切磋琢磨も起きづらく、長期的な対戦環境の維持も難しかった。1990年代における格闘ゲームの状況が例外的だった、といってもいいだろう。
そうした状況が一変するのが、TwitchやYouTube(日本の場合ならニコニコ動画も加えていいだろう)などの、動画共有サービス登場による。誰もがゲームプレイを共有し、それを楽しめる環境が成立したことで、eスポーツが拡大する素地ができた。
一般での注目が拡大したのは、そこでメジャーなゲームについて世界的な大会ができ、動画が共有され、スポンサーがつき、プロが生まれてからのことである。だがそれは、冒頭でも述べたように「eスポーツという産業」を組み立てる要因であり、eスポーツが活発になるための要因でもある。だが、「企業がついたのでeスポーツができた」のではない。
ここで重要なのは、eスポーツである条件に「視聴者の数」は本質的にいえば関係ない、ということだ。ただし、確実に視聴者が「いること」が必須となる。
動画共有サイトが生まれるまで、この条件を満たすことは非常に難しかった。放送で流すにも、リアルの会場を用意するにも、一定の視聴者が望めないと難しかったからだ。
だが、動画共有サイトを使うのであれば、初期の視聴者数は問題にならない。動画の長さも大きな制約にならない。知らない人にとってはマイナーな存在でも、十分な面白さがあって一定の人に刺さるなら、ネットではちゃんと成立する。コンピュータゲームではないが、囲碁・将棋・麻雀などの中継がネットに移行しているのは「ファンがいて収益が見込めて、放送に比べ制約が緩い」からだ。
eスポーツは、最初から既存のマスメディアの枠外から生まれた存在である、といっても過言ではない。そしておそらく今後も、マスメディアにはならない「大量のニッチ」の集合体として存在し続けていくことだろう。
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